『「介護時間」の光景』(155)「たばこ」「やきいも」「右肩」「ティーバッグ」。5.1.
いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。
(※いつも、この「介護時間の光景」シリーズを読んでくださっている方は、よろしければ、「2001年5月1日」から読んでいただければ、これまでとの重複を避けられるかと思います)。
初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
「介護時間」の光景
この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、私自身が、家族介護者として、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。
それは、とても個人的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。
今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2001年5月1日」のことです。終盤に、今日「2023年5月1日」のことを書いています。
(※この『「介護時間」の光景』では、特に前半部分は、その時のメモをほぼそのまま載せています。希望も出口も見えない状況で書かれたものなので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば、幸いです)。
2001年の頃
個人的で、しかも昔の話ですが、1999年に母親に介護が必要になり、私自身も心臓の病気になったので、2000年に、母には入院してもらい、そこに毎日のように片道2時間をかけて、通っていました。妻の母親にも、介護が必要になってきました。
仕事もやめ、帰ってきてからは、妻と一緒に、義母(妻の母親)の介護をする毎日でした。
入院してもらってからも、母親の症状は悪くなって、よくなって、また悪化して、少し回復して、の状態が続いていました。
だから、また、いつ症状が悪くなり会話もできなくなるのではないか、という恐れがあり、母親の変化に敏感になっていたように思います。
それに、この療養型の病院に来る前の違う病院で、いろいろとひどい目にあったこともあって、医療関係者全般を、まだ信じられませんでした。大げさにいえば外へ出れば、周りの全部が敵に見えていました。
ただ介護をして、土の中で息をひそめるような日々でした。2000年の夏に心臓の発作を起こし、そのせいか、時々、めまいに襲われていました。それが2001年の頃でした。
気持ちは、かなりすさんでいたと思います。
それでも、毎日のことを、かなりマメにメモをしていました。
2001年5月1日
『午後5時過ぎに病院に着く。
母は、今日の朝のことを話してくれた。
「今日の朝、パンが出たのよ。ジャムを塗って、チョコレートとか、ジュースを飲んだ。おいしかったのよ」
少しわかりにくかったけれど、パンが珍しく、それにおいしいと言っていたので、それは、良かったと思った。
だけど、そのあとに、また昼はご飯を食べてない。と言うのは、多分、本当のことではないのだろう。
今日は、ボール投げとか、体操やった。こっちから一人だけ代表になった。と笑っている。
ところどころ、意味が通らない気もしたけれど、楽しそうなので、それも良かった。
左ヒジのあたりが、なんだか汚れていて、一瞬、便かもしれないと思って、においをかいだら、どうやらミートソースのようだった。いつのだろう。
本人に、ここのところ、少し汚れているけど、着替えるかどうかを聞いたら、何度も、大丈夫、大丈夫。昔から、こうだった、を繰り返すだけだった。
看護師さんに、そのことを言ったら、母にも伝えてくれて、新しい上のパジャマを持ってきてくれて、着替えてくれた。
ほっとする。
暗くなってきて、病棟の中を、母と一緒に歩いてみる。
廊下を歩くと、壁に「茶摘みの歌」が貼っていて、それを見て、母が、今日、これ歌って、ラジオ体操をやったのよ。と話をした。
歩くと、どこからか、今日はかすかにトイレの匂いがしてきた。
うあー、うあー、という、うめき声が、どこからか聞こえてくる。
午後7時過ぎに、病院を出る』。
たばこ
駅。ホームにある水道。妙に古く感じるコンクリート。
そこに半分くらいほぐれた感じになっているタバコのすいがらが、ザルの中に水にびっしょり濡れて、たくさん山ずみになっていた。近くを通るだけでも、なんだか強いにおい。
これって、まったく違うのだけれど、形の雰囲気だけは、店か何かの食事の準備の光景と似ている気がする。
やきいも
病院のそばの県道。行く途中に必ず渡る、畑や林にはさまれたちょっと広めの道路。
そこを小さいトラックがかなり飛ばして通り過ぎていく。「やきいも」の大きい文字と共に去っていった。「やきいも」があんなにスピードがあるのを初めて見た。
右肩
電車の中。立っている場所を少し変えようとして少し動いたら、右の肩の肩甲骨の、ほぼ真ん中くらいを、とても細いものでシャープに、気がつかないくらい微妙に、何かで押された。
後ろを見ても誰もいない。気のせいにしては、はっきりとした感触。
ティーバッグ
夜の自宅。陶器のティーポッドを珍しく使って、でもティーバッグで紅茶を飲んで、そのままコタツ(スイッチはつけていないが)の上に置いておいた。
ティーバッグのつまみの紙の部分。それが、ポットの上のところにくっついているのは分かった。
そのまま、そこに置いたままだった。
夜中。バン!と小さめだけどはっきりとした音が響く。
ティーバッグの紙のところがはがれて、そのバッグは、ポットの底まで落ちていった。
(2001年5月1日)
それからも、その生活は続き、いつ終わるか分からない気持ちで過ごした。
2007年に母が病院で亡くなり「通い介護」も終わった。義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。
2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間、妻と一緒に取り組んできた介護生活も突然終わった。2019年には公認心理師の資格も取得できた。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。
2023年5月1日
昨日は雨だったので、洗濯ができず、溜まっていた洗濯物を洗濯機に入れる。
だけど、夕方から雨が降るそうで、微妙だった。
月曜日だけど、ゴールデンウィークだから、いつもの週明けとはちょっと気持ちが違う。
植物
朝起きたら、土手に行ってきます、という妻のメモが残っていた。
しばらく経ったら、手に河川敷でつんだ花を持って、帰ってきた。
楽しかったようで、それから、庭に咲いたり、つぼみになっている花をあれこれ指差して、嬉しそうな顔をしながら、さらに、ご近所の庭も見に行った。
いろいろな花が咲く季節になった。
誕生日
とても若い身内ができてから、何年か経つ。
まだ幼い彼に向けて、誕生日プレゼントを贈ろうと思い、妻がそのカードを作ってくれた。
さらに、その親に、要望を尋ねたら、教えてもらったので、その玩具を購入し、お菓子も詰めて、贈ろうとし、準備を進めている。
駅前のお菓子屋は、連休中も変わらずに営業しているのを確認し、午後から、出かける。
購入した玩具が入っていたダンボールの大きさを、妻が古いカレンダーを折って測ってくれたので、その紙を持って、贈るお菓子を決める。洋菓子と、ようかんで、ちょうど、その四角に収まった。
ほっとして、あと、少しの買い物をして、家に戻った。
柿の枝
風が強かったせいか、柿の枝が、また電線にかかっていた。
妻は先に気がついていたのだけど、昨日は雨が降っていたから、黙ってくれていたらしい。
だけど、今日は夕方から、雨が降るから、早めに切ろうと思って、帰ってきて、荷物の整理をして、すぐに脚立をハシゴにして、切った。思った以上に、枝は重い。
木クズもいっぱい体に浴びたけれど、それでも、無事に切ることができて、ほっとしたが、それから、誕生日プレゼントを宅配便を送ろうと、妻が、箱詰めをしてくれる。
そして、近くのコンビニに行ってくれた。
ほっとした。
さっき、買い物の帰りに買ってきた、最近、できたお店のケーキと、プリンを妻と一緒に食べた。
おいしかった。
また、感染拡大の傾向になってきた。
連休明けは、どうなるのか不安だけど、そう感じている人間自体が少なくなっているような気がして、さらに心細い。
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