『「介護時間」の光景』(216)「電車」。7.23。
いつも読んでいただいている方は、ありがとうございます。
そのおかげで、こうして書き続けることができています。
初めて、読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
「介護時間」の光景
この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。
それは、とても個人的なことで、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。
今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2005年7月23日」のことです。終盤に、今日、「2024年7月23日」のことを書いています。
(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)
2005年の頃
私は、元々、家族介護者でした。
1999年から介護が始まり、2000年に、母は入院したのですが、私は病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けていました。
様々な葛藤がありながらも病院に通い続けて、何年かたった頃、母の症状は安定し、病院への信頼が高まってしばらく経った、2004年の頃、母はガンになってしまいました。
手術もしてもらい、一時期は症状も落ち着いていたのですが、2005年には、再発がわかり、もう積極的な治療もできなくなりました。
出来るだけ外出を増やそう、と思っていた頃でした。でも、母の体調もあって、思い通りにはなかなか行きませんでした。
2005年7月23日
『病院へは午後4時過ぎに着いた。
午後4時30分頃、地震があった。
少し揺れる。
午後5時30分頃、夕食にはうなぎが出て、だから、母も完食した。
いつもくる患者の家族の人が、転院しますと、少し悲しげに伝えてくれた。どうなるのか気になっていたのだけど、会えてよかった。
午後7時に病院を出る。
送迎バスが出る、系列の近くの病院まで、本当に暗い夜道を通っていく。
その建物の入り口の公衆電話で、いつも家に電話をする。
さっきは、地震があったとき、病院内の電話からかけて、つながらなかったのだけど、今回は、妻が電話に出てくれて、安心する』。
電車
何か事故があったせいか、電車が止まっているそうだ。
それを、駅に向かう前に知った。
送迎バスの中からの夜の光景は変わらない。
駅に着いて、電車が来たので、乗った。
いろいろ遅れているので、本当は「何時何分発」なのかがわからない。
2つ先の駅までは、電車のスピードだった。
それから先、時速25キロ以下で、電車は進む。
次の駅までが、とても遠い。
電車の外の光景が、いつもと違って見える。
自転車の速さ、と思う。
夜がゆっくり流れている。
毎日のように乗り換えている駅まで、いつもよりも倍以上の時間がかかった。
座っているだけなのに、なんだか疲れる。
(2005年7月23日)
気持ちが落ち着かないまま、その生活は続いたが、母は2007年に病院で亡くなった。
それからも、義母の在宅介護は続けながら、心理学の勉強を始め、大学院に入学し修了し臨床心理士になった。介護者への個別で心理的な支援である「介護者相談」も仕事として始めることができたが、2018年の年末に、妻と二人で在宅介護を続けていた義母が103歳で亡くなり、突然、19年間の介護生活が終わった。2019年には、公認心理師の資格も取得した。昼夜逆転の生活リズムを修正するのに、思ったよりも時間がかかり、そのうちにコロナ禍になっていた。
2024年7月23日
暑い。
空気が少し重く感じるくらいの気温になっている。
日差しが強い。
洗濯
そのおかげで、洗濯物はよく乾く。
やっとこたつの掛け布団を洗えた。
洗濯機の洗濯槽がパンパンになって不安だったけれど、「毛布」というモードにしたら、なんとか無事に洗えた。
洗濯物を干すハンガーを一台ほぼ全部を使うことになって、干した姿は、茶色のせいもあって、何かの動物のようにも見える。
ドラマ
今期のドラマの中でも、画面の色合いや、アングルや、音楽がなんだかかっこよくて、毎回、録画して妻と一緒に見ている。
虐待が、重要なテーマにもなっているのだけど、その描かれ方が気になったりもする。
子どもを虐待する親が、ほとんど悪魔か鬼のようにしか見えない。
それは、虐待を受ける側にとっては、その通りのことなのだろうけれど、もし、虐待を少しでも減らすために、という支援側の視点で見ると、少し思うことはある。
大事なのは、子育てなど、ケアを提供する側への支援を圧倒的に増やすこと。
私自身も、家族介護者の支援に関わっていて、それは、高齢者虐待を少しでも減らす、ということとも無関係ではないからだ。
モンスターはいない
時々、虐待の事件の報道だけを見ていると、その親が「モンスター」のように思え、意志の疎通すら難しいのではないかと感じることもある。
ただ、そうした事件ですら、丁寧に取材されたルボルタージュなどを読むと、決して、「モンスター」などではなく、さまざまな状況によって、保護者が追い込まれていくことを、強く感じる。
また、その事件の当事者である保護者の手記などを読んでも、さまざまな不運な事情が重なって、まるで虐待へ追い込まれていくように感じることもある。
私は児童関係の専門家ではないので、断言することはできないとしても、重要なのは、保護者側の支援をもっと手厚くしないと、虐待を減らすのは難しいのではないか、といったことではないか、と思う。
そうであれば、自分がしていることは虐待かもしれない、と不安を抱える親に向けても書かれた書籍↑は、やはり、今後はより重要になってくるのではないかと思う。
この本を読んで、この著者は、クールな知性と、あたたかい心を両立させていると思い、この人に学びたいと思って、大学院で、この先生のゼミで学んだ。
クールとあたたかさを両立させている、その印象はずっと変わらなかったし、今でも、そこで学んだことが、心理士(師)として仕事をするベースになっているのも、変わっていない。
(他にも、いろいろな介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。
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