「介護時間」の光景㉑ 「ブザー」と「音」 8.12.
いつも読んでくださる方には、繰り返しになり、申し訳ないのですが、家族介護者の心理的支援を仕事としている越智誠と申します。臨床心理士/公認心理師として、「介護相談」を続けています。
ここに至るまでのことも、何度もお伝えして、すみませんが、私は、1999年から介護生活に入り、自分自身が心臓発作を起こしたこともあり、仕事をやめ、介護に専念した時間が10年くらいありました。母と義母を介護していたのですが、2007年に母を亡くし、家族介護者にこそ、心理的支援が必要だと思うようになっていたので、臨床心理士になろうとして、勉強を始め、大学院に通い始めたのが2010年でした。
3年かかって、大学院を修了し、臨床心理士の資格試験に合格したものの、仕事がなかなか見つからず、それでも2014年から、幸いにも家族介護者の「介護相談」の仕事を始められました。その時は、うれしくもあったのですが、義母の在宅介護は続いていました。夜間の介護の担当だったのですが、義母のリズムに合わせているうちに、徐々に私自身の寝る時刻は遅くなり、午前5時半頃になっていました。なんだか、疲労感がつもってきている感じが強くなったのが、2015年の頃でした。なかなか仕事がうまくいってなかったせいもあると思います。この年の暮れに、義母は満100歳になる予定でした。
2015年8月12日。
この日は、母が入院していた病院へボランティアとして、行きました。
母が入院していた頃に、入院患者に渡す誕生日カードを作るボランティアに、月に1度のペースで参加するようになりました。長く入院されている方が多く、病室の壁に誕生日カードを貼っている人も少なくなかったので、せめて、毎年、色合いなどもバリエーションにとんだカードであれば、と思って、参加するようになりました。
最初は、母が病院にお世話になっているし、私自身も、病院には週に3日も4日も通っていましたし、病院への恩返しみたいな気持ちもあったのですが、そこで知り合った同じような立場の家族の方々と知り合いになって、一緒に作業をして、いろいろと話すことで、辛い時にもずいぶんと支えてもらいました。
2007年に母は病院で亡くなったのですが、その後も、このボランティアを続けることになり、気がついたら10年以上、通っていました。
その病院へ行くまでのことです。
ブザー
ずっと通い続けた病院へのバス。あの頃の焦燥感は、今はない。
もうすぐ終点。あと3つか4つ。カーブが連続する道をあがる。
前の方の右際に座る年輩の女性が手をあげ、ブザーを押そうとする。
後ろの方に座る中年手前の男性が遅れて手をあげたはずだが、先にブザーを押して、音が響いて、バスにたくさんある次の停留を示す光がともる。
女性のあげられた手は、ブザーに触れることなく、とまどいを示しながら、くねっと動いて、下げられていく。これだけ気持ちが伝わる体の動きは、公共の場で見ることは、あまりないかもしれない。
音
バス停。それも終点で降りる。緑が多く、山の上のターミナル。
セミの声が、2種類はっきり聞こえる。
しゃー、しゃー。という声。種類はよく分からない。そばで聞こえる。
ミーン、ミーン、という声。少し遠くでくっきりした声に聞こえる。
かあ、かあ、かあ。もっと近くに短めのリズムでのカラスの声。
緑が多く、厚めの音。なんだか少しリゾートの気配まで感じる。
(2015年8月12日)
義母の在宅介護は続けていましたが、2ヶ月にいっぺんのペースで、ショートステイを利用していました。
この前にショートステイからの時間がたって、約2ヶ月休みなく介護は続いているので、実は疲労がかなりたまっていたのかもしれません。この2日後に、ショートステイに入ってもらうことになっていました。
前年から、やっと仕事を始められたのですが、月に数日で、もう少しは増やさないと生活が危ないのに、ここまで15年の介護生活のためか、毎日の午前5時半就寝の、昼夜逆転のせいなのか、ふとした時に、疲労感をおぼえ、義母の100歳のことを思うと、すごいと思うとともに、今も元気だから、これから、どのくらい続くのだろう、とも思い、気が遠くなるような感覚になる時も多くなっていました。いつも体も心も、疲労に薄く覆われていたような頃でした。
この前日の夜に書いた日記みたいな文章です↓。
「毎日、こうやって過ぎて、義母が認知症になって、微妙に負担感は増えていて、だから、これ以上、仕事を増やすのは難しいし、結局は死ぬまで働く必要はあるにしても、それまで健康を保てるか、保っていたとしても、仕事があるのか、と考えると、その前に死にたくもなるが、あまり考えないようにして、今に集中しよう。と思ったりもする。
昨日も、せっかく仕事を紹介してもらったのに、それが午前中だから、断るしかなくて、それがもうこの年齢で、仕事を選べるわけもないのに、そんなことをしていて、さらに未来を閉ざしている気もするが、ここで無理すると、体をこわしたり、虐待をしたり、になってしまう。
でも、こういう負担感は伝わりづらく、それを伝えるのも何となくはばかられることでもあるけど、今の自分は専門家としても、家族介護者としても、そうしたことをきちんと伝えなくてはいけないと思ってはいる。それでも、しんどさが積もって来ていて、これ以上、仕事を増やすと、本当に倒れるかもしれないといった不安感は確かにある」。
義母は、2018年の暮れに突然亡くなりました。
その日も、いつものように家からデイサービスに出かけて、施設で急に意識を失い、それから3日後に、息を引き取りました。103歳になったばかりでした。
介護は急に終わり、それでも、昼夜逆転の生活を変えるのは難しく、夜はなんだか恐くて早く眠ることができず、やっと午前9時台に起きられるようになったのは、2020年の4月くらいでした。
そうしたら、コロナ禍になり、微妙な緊張感を維持する生活が、また始まってしまいました。
それでも、生活のリズムはだんだん一定になってきました。季節はうつり、夏を迎え、8月に入ってから、とても暑い日が続いています。35度を超えるのが普通になってしまっていて、ぼんやりするくらい気温が高い日が珍しくなくなっています。
2020年8月12日。
午後2時頃。
気温は35度くらいはあったと思います。
近所のさくら並木は、枝の伐採をして、そのあとの掃除のため、機械の風でゴミをとばして集める、大きい音が響いていました。
それと、同時に、というか、それに対抗するように、その並木では、みーん、みーん、みーんと、セミの、大合唱というか、バトルのような、本当に強い声が降ってきて、上からも下からも、大きい音が響き続けて、何も考えられなくなるような空間でした。
こんなに大きく、力のこもったセミの声は、今年一番だったかもしれません。
並木の下に、親子連れが、虫取り網と、カゴをもってあらわれて、父親が何か話しかけたら、「いろいろ大きい音で、聞こえない」と、子供が返していました。
家に戻ったら、今日の東京の新たな新型コロナ感染者は、222人と知りました。
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介護books③「介護に慣れてきたけど、希望が持てない人に(もしよろしければ)読んでほしい6冊」
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