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介護の言葉㉔「認知症」と「就労」と「仕事」

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。
 おかげで、こうして書き続けることが出来ています。

 初めて、読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。

 私は、臨床心理士・公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

「介護の言葉」

 この「介護の言葉」シリーズでは、介護の現場で使われたり、また、家族介護者や介護を考える上で必要で重要な「言葉」について、改めて考えていきたいと思います。

 時には、今はあまり使われていなくても、これから介護のことを考える場合に、必要であれば、その言葉について考えていきたいとも思っています。

 今回は、一般的な言葉ではあるのですが、テレビで見ていて、改めて、その使われ方が気になったので、改めて考えてみたいと思いました。

 よろしくお願いします。

「若年性認知症」と「就労」

 テレビ番組に「認知症」×「就労」というタイトルがあったので、気になって、録画して見ました。

「認知症」の中でも「若年性認知症」と「就労」がテーマのようでした。

 番組は、40代で「若年性認知症」の診断を受けた男性が、仕事を継続するためにどうしているのか?という内容でした。この男性の生活について、想像しかできませんが、大変なことだと思います。

 この番組自体が、厚生労働省によって、「若年性認知症」が、治療しながら働ける症状に加えられたから企画されたのもしれない。という気持ちと、もちろん、ここに出演していた男性のように、困難を抱えながらも、働く気力と能力と、職場の理解と協力があれば、「認知症」になっても、働くことはとてもプラスではないかと思います。

 ただ、同時に、「認知症」になって、それこそ人によって症状も違うわけですから、まず「働く」ことが前提とは限らない、のは忘れたくないと思いました。

「認知症」になっても、本人の意志が、もっと大事にされるように、というのが目指されるべきなのは、変わらないのはないでしょうか。

 この番組には(2)もありました。基本的には、(1)と同じでしたが、改めて、適切な支援さえあれば、少なくとも、本人や家族の不安は全く違ってくるのに、とも思いました。

 また、恥ずかしながら、「若年性認知症支援コーディネーター」という存在を初めて知りました。


若年性認知症支援コーディネーター配置のための手引書」
https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12300000-Roukenkyoku/tebiki1.pdf

 こうした相談窓口ができれば、随分と違うと思います。

「何も分からない」

 同時に、こうした番組を見ていると、細かいことが気になりました。

 番組内で何度も「かつては認知症は、何も分からなくなると考えられてしましたが」と繰り返されていたのですが、すでに、この見方は、間違っていたと言っていいことだと思いますので、「かつては」という前提があるとしても、この「認知症は何も分からなくなる」という表現自体を使わない方がいいのに、と思いました。

 すでに否定されていることでも、実際に言葉として繰り返されれば、そこだけが印象に残る可能性があり、この「認知症だと何も分からなくなる」ということは間違っている、という常識に変わっていく速度が遅くなる、と思ったからでした。

「就労」や「仕事」ということを考えるのであれば、まずは、認知症への常識を更新していくことが必要ではないかとも思いました。

「就労」という言葉

 さらに、改めて、さまざまな「言葉」の使い方が気になりました。

 個人的には「就労」という言葉を使うようになったのは、支援職として学んだり、働いたりするようになってからでした。

 例えば、自分だけのことではなく、学生時代に仕事を探すことは、就職活動という言葉を使っていたので、「就労」ではなく「就職」と表現していましたし、会社の規則は「就労規則」ではなく「就業規則」と言われていたと思います。

 言葉の意味としては、労働と就労はそれほど違いはないと言われているのですが、一般社会の中では、おそらくは「就労」は、福祉用語に近い捉えられ方をしているような気がします。

 もし、自分に対して「就職」ではなく「就労」という言葉ばかりを使われるようになったら、なんとなく、一般的な扱いをされていないような気がすると思いますので、支援の場面でも、できるだけ、「就職」や「仕事」という言葉を使った方がいいと感じていますが、それは、もっと支援の現場を知っている方から見たら、微妙に間違ったことかもしれないという恐れもあります。

 それでも、できる限り、やはり「就職」や「仕事」という言葉を使った方がいいのではないか、とも思っています。

「認知症」と「仕事」

 さらに、「若年性認知症」の方だけではなく、65歳以上の「認知症」であっても、本人の希望と、受け入れが可能が場所があったら、「仕事」ができるのは、とても優れた支援でもあると思います。

「認知症」と「仕事」のことをテーマにするのであれば、「若年性認知症」だけでなく、さらに多数である、高齢者の「認知症」のことも考えていくべきだと思っていますが、このことに関しては、すでに取り組まれている事業所が存在します。


(「みんなの介護」)

https://www.minnanokaigo.com/news/visionary/no17/

 認知症の方が働ける場をつくろうとしたとき、最初に立ち塞がったのが制度の壁です。
 介護保険法では「介護される側が働く」という状況は想定されておらず、そもそもの認識として「認知症の人は働けない」ことが前提でした。
 認知症であっても、意思と能力があれば働いた対価を貰って良いはず。直接、厚生労働省と交渉を続けた結果、現在は、謝礼を受け取ることが制度の上でも認められるようになりました。

「みんなの介護」より


 実際に、こうした事業所が存在するわけですから、制度が壁になるのではなく、モデルケースとして、積極的に生かしていくべきだとも思います。そして、こうした取り組みも、介護の常識の一つになっていけば、とも考えます。

 同時に、「認知症」になっても「仕事」ができることが常識になったとしても、とにかく「仕事」をする、という強制にならないように、あくまでも本人の希望で、これまでと同じようなデイサービスの過ごした方をしてもいいし、どんな過ごし方をしてもいいという状況にもなれば、とも思っています。

 さらには、長生きをすればするほど、ほぼ動けないような状態になることはあり得ます。そういった人にも、これまでと同様に、適切な介護がされて、本人がより快適な毎日を過ごせるような体制も同時に進化してほしい。それは、専門家の方々はとっくに御承知であるとは思うのですが、こうして「仕事」や「就労」が表に出る時は、つい再確認したくなります。


 目標がしっかりしていないと、いつの間にか、何かの体制を持続する方が目的になりがちな前例を多く見てきたような気がしますので、長生きしてよかったと思える社会にするという目標は、さまざまな制約があったとしても、いつも前提として目指すべきではないかと改めて思いました。




(他にも、介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。



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越智誠  臨床心理士/公認心理師  『家族介護者支援note』
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