介護の言葉㉑「人生会議」
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私は、臨床心理士・公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
「介護の言葉」
この「介護の言葉」シリーズでは、介護の現場で使われたり、また、家族介護者や介護を考える上で必要で重要な「言葉」について、改めて考えていきたいと思います。
「人生会議」
「人生会議」が「炎上騒動」になったのは、2019年のことでした。
芸人・タレントの小籔千豊氏が、死の間際の人を演じたポスターが非難を浴びたのを覚えています。
全国がん患者団体連合会の天野慎介理事長はフェイスブックに「これでは人生会議というよりは、死に方会議のポスターです。自分は死ぬとは思ってない人が考えたポスターではないでしょうか」と書き込んだ。天野さんは取材に、「ACPは必要だが、その内容を誤解させかねないし、脅しとも取れる内容で啓発として有効か疑問だ。関心がない人たちに『刺さる』ことを優先し過ぎて、当事者への配慮を欠いている」と話す。
それからしばらくは、「人生会議」という話題自体が、それほど聞かれなくなりましたが、今もその「啓発」は続いています。
命の危険が迫った状態になると、
今でも「人生会議」は、そんな状況が前提になっているようですので、基本的には、「死に方会議」であることは変わらないのではないか、という印象です。
「会議」への疑念
でもAC Pの日本の愛称として使われている「人生会議」という言葉は、私にはあまりしっくりきません。
「会議」になると、どうしても「会」というか「数」の圧力がありそうです。それでなくても日本人は、まわりの空気を読んで忖度しがち。主体であるはずの「私」は、つい気を遣ってしまい、数の圧力にのみ込まれてしまうのではないでしょうか。
(中略)
その際、数の圧力を避け、本人の意思で変更できるようにしてほしい。延命治療を拒否したいと思っていても、もし長い間、病床についており、そう痛みもなくなんとなく生きている感じだとしたら、ひょっとしたら「明日も生きたいなぁ」と思うかもしれません。だから治療をどうするかについては、繰り返し聞いてほしいのです。それも、数の圧力がないところで、一対一で聞いてほしいと思います。
連れ合いが3年2か月と長きにわたり、寝たきりになって闘病した経験を通して、私はそう思うようになりました。
このように↑介護保険の成立に尽力した専門家でも、「人生会議」に対しては、実際に介護の経験をした後だと、疑問を持つようになっています。
病気になったり、体が弱ったりする状況になると、自分が健康な時の決断とは、全く変わることがあります。それも含めて考えると、いくら「人生会議」で決めたことでも、そのことが強制力を持つことは怖いことでしょうし、何よりも「会議」が開かれてしまえば、基本的に「迷惑をかけたくない」と思いがちな日本の社会であれば、自らの忖度によって、自分の意志とは別の決断をしてしまう可能性も低くありません。
「人生介護」の啓発をするのであれば、そうしたことも考え、「人生会議」を拒否する自由も(本当の意味で)確保するべきではないか、と思います。
ルール化そのものへの疑問
ACPだけでなく、いわゆる「安楽死」や「尊厳死」まで含めて考えた、科学者であり、哲学者の著書があります。
二十一世紀になって、死をめぐって、世界的に幾つかの国々と、アメリカの幾つかの州で、PADという概念が公式に承認されたことである。(中略)意味は、文字通りには「医師の幇助による死」である。
オランダでは、この問題をめぐって、現代に長い議論の歴史があった。発端は一九七一(昭和四十六)年に、ポストマという女性医師が、脳の障碍で七十八歳まで様々な苦痛と闘ってきた母親の度重なる自殺未遂の試みの末に、その懇請に負けて、モルフィネを投与して、安楽死させた事件である。
しかし、「安楽死」や「尊厳死」については、そのルール化や日常化については、歴史を振り返っても、あまりにも過酷な先例があることも著者は指摘しています。
出発点はむしろ慈悲であり、愛であり、良き人間性の動機付けの下で行われることも、事が日常化したときに、それは筆舌に尽くし難いほどの「非人間性」を導くことがある、という見事な先例を、ナチズムが作ったからである。その意味でも、ナチズムは、人類史上犯すべからざる罪を残したといえるだろう。
そんな様々な歴史上の出来事も含めて、筆者がたどり着いた一応の結論と言えるのが、こうしたことでした。
倫理の「大きな物語」を諦めよう、という提案である。別の言い方をすれば、倫理における「唯一解」あるいは「一般解」を求めることを諦めよう、ということになる。
確かに「人生会議」といったことが一般的になり、そこで決められたことが明文化されるようになり、ルール化の方向へ進み始めると、21世紀になって「医師の幇助による死」が承認されるようになったように、「延命を願う自由」に対して、どんどん厳しなっていきそうです。もしくは、老いや衰えや障害に対して、それでも生きていく願い自体が、認められにくくなる可能性すら感じます。
強制力
やはり、私には「人生会議」と聞くたびに、「死に方会議」に聞こえ、そこで話し合われた結論は、今の日本社会では、そこで空気を読み合って、結局は「延命治療を拒否します」になりそうです。
それが悪いわけではないのですが、自分の人生であり、命であって、「どんなことがあっても、1分でも長く生きていたいから、できる限り治療をしてほしい」と思っていても、「人生会議」と名づけられるような場所で、本当に、そういう発言ができるでしょうか。
誰にとっても「迷惑をかけてはいけない」が内面化されてしまっているような現代日本で、さらには「マイルドな優生思想」が多数になったようにも思える今の社会で、「できる限り治療したい」という気持ち自体が許されるような気がしません。
もちろん、自分の「死に際」に関して、個別に伝えたい方は、伝えたい人に対して、あくまでも「現時点での意志」として、それは変わるかもしれないし、変わってもおかしくない、とりあえずの決定事項として、話してもいいことだとは思います。
ただ、それが自分の未来も縛るような決定事項になるのは避けた方がいいのでは、と思いますので、「人生会議」というような形は、そうした決定に対して、必要以上の「強制力」を生じさせてしまうような危険性を感じます。
「望ましい介護」全体会議
さらには、「人生会議」(ACP)のように、命の迫った状況ばかりが話題になっているような印象もあるのですが、それよりも、もっと「望ましい介護」が話し合われてもいいように思っています。
つまり、「Advance Care Planning」として先のことばかりではなく、そこに至るまでの長い「介護」のこと、こじつけた言葉で表現すれば「Current Care Planning」を、もっと考えるべきではないでしょうか。
「ケアプラン」という言葉も実践も、すでに存在していますが、現状では、介護が必要になった場合に受けられるサービスは限られています。要介護者として、デイサービスに通ったり、ショートステイを利用したり、もしくは訪問の介護サービスを使ったり、施設入所をしたり、医療関係の利用方法も、それほどバリエーションがあるわけではありません。要介護者が、自分のこれまでの生活を変えないで暮らしたい、といった望みがかなえられることは、残念ながら難しい状況になっていると思います。
介護保険の「改正」のたびに、「サービス抑制」としか思えないような変化ばかりがあると、結局は、家族が介護をする負担が本当の意味で減少するのは難しそうですし、やむを得ず介護離職をした場合に、その人が介護を終えた後のことは、社会で考えてもよさそうなのに、そんな動きもないために、介護をする側も、より選択肢が少なくなっています。
もっと「望ましい介護」について、「人生会議」の前に、話し合った方がいいように思っています。それも、家族や関係者といった親密な空間だと、逆に遠慮をして、「介護が必要になったら、施設に入れてほしい」といった発言が多くなりそうですし、現在だと、特養などの施設であれば、いつの間にか「要介護3」からしか入所もできなくなっていますから、施設入所すら、望んだからできるわけではなくなっています。
本当に今の介護環境のままでいいのでしょうか。
「理想の介護環境」について個人的に考えたこともありましたが、これを、もっと広く、いろいろな人が、開かれた場所で話し合えたら、と思っています。
それも、今でしたら、リモートで話し合える環境もありますし、また、文字のテキストで意見交換をしたり、さらにはリアルで会って話してもいいと思いますが、オープンに、できるだけの大人数で、様々な視点から、話し合いを続けることが大事になってくると思います。
「人生会議」の前に、もっと長く続くことが多い「介護環境」をどのようにしていけばいいのか?よりよい介護のために、今は、難しいとしても、もっと自由に、理想の介護を話し合っても、努力目標を改めて考えてもいいのではないでしょうか。
それを、「望ましい介護」全体会議(仮)と名づけて、話し合える場の方が、「人生会議」よりも、個人的には必要ではないかと思っています。
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