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『「介護時間」の光景」』(152)「コーヒー」。4.13.

 いつも読んでくださる方は、ありがとうございます。
 そのおかげで、こうして書き続けることができています。

 初めて、読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的なことで、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2008年4月13日」のことです。終盤に、今日、2022年4月13日のことを書いています。

(※ この「介護時間」の光景シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモをもとにして、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況を書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)

2008年の頃

 1999年から介護が始まり、2000年に、母は入院したのですが、私は、ただ病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けていました。

 土の中で息を潜めるような生活が続き、だんだん慣れてきて、4年が経つ頃、2004年に母にガンが見つかり、手術し、いったんは症状はおさまっていたのですが、翌年に再発し、それ以上の治療は難しい状態でした。

 そして、2007年の5月に母は病院で亡くなりました。

 介護が必要な家族は、妻の母親である義母一人だけになりました。義母がずっと住んでいる家に同居し、妻と私が介護を続ける毎日は変わりません。

 その当時で、要介護3の義母は、耳は聞こえず、1日中、ほぼベッドの上にいるだけの生活なのに、食欲はあり、気持ちも元気でしたが、母が病院で亡くなった頃、介護の負担が重くなってきていて、妻がそのことで泣いたりしていました。

 介護が必要な家族が一人になったことで、仕事を始められるかも、とひそかに思っていた時でしたが、気持ちの中で無理だと思い、仕事のことは諦めて、介護に集中しようと思いました。

 義母の介護を、妻といっしょにやっていかないと、妻が過労で、先に死んでしまうと感じていたからです。私は心臓の病気を抱えていましたが、妻も介護の途中でぜんそくになってしまっていたせいもあります。

 今までと違って、私や妻が、ほぼ全面的に排泄介助をするように介護体制を変えざるを得なくなっていました。昼間は主に妻が連れていき、夜間は、午前3時くらいまで私が担当。そして、午前7時から、また妻にみてもらうようにしました。

 義母の年金や、母が残してくれた貯金などのおかげで、あと何年かは介護に専念する生活が出来そうでしたから、恵まれていたのかもしれません。それでも、「過労死」や「介護死」をしないためには、2人で本当に力を合わせないと無理だと思うような状況は変わりませんでした。

 義母の介護負担が重くなった頃に、それに気を使うかのように死んだ母のことを思うと、また何ともいえない悲しさのまじった気持ちになったりすることもありました。

 1999年から2007年までの8年間は、病院と家の外側は、まるで砂漠のように、どこか自分と関係ないような気持ちでいました。それが、母が亡くなってから、自分で視野を狭くしていたのかもしれないと思うようになり、しばらくは「病院へ行かなくちゃ」という気持ちが続きましたが、少しずつ、通わない介護生活に慣れていき、以前よりも人に会おうという気持ちになっていきました。

 ただ、この2008年4月13日は、『「介護時間」の光景』しか書かれておらず、どこにも、その日のメモはなく、その日に、義母の介護で何があったのか。それとも、出かけたかどうかも、全く覚えていません。

コーヒー

 たたみの上にしいたカーペットにコーヒーを少しこぼした。

 その茶色い液体は、小さい直角3角形を作って、少し盛り上がり、あめのような、グミのような、柔らかいべっこうアメのようにも見える。

 でも、べっこうアメは、よく知らないけれど。

                        (2008年4月13日)


 この頃は、自分が家族介護者の心理的支援に関わろうと思い、臨床心理士になろうとして、そのために大学院入試のための勉強をしている頃でした。その後、2010年に大学院に合格することができ、2014年には、臨床心理士の資格を取得しました。
 その頃、家族介護者の相談の仕事も始められることができましたが、義母の介護も続きました。そして、2018年の12月に義母が103歳で亡くなり、介護生活も19年間で、突然終わりました。
 昼夜逆転の介護生活のリズムが、少し整ってきた頃、コロナ禍になりました。


2023年4月13日

 朝方は、Jアラートが流れたらしい。
 妻は、不安そうに、そのことを語っていた。

 今日は、黄砂も飛来する、というニュースがあって、妻は、なんだか緊張したらしく、顔色もあまり良くないので、午前中に、一度、寝てもらった。

洗濯

 少し迷ったけれど、洗濯物が溜まっているので、家の中に干すことにして、洗濯機を回すことにした。

 柿の木の葉っぱは、気がついたら、かなり茂っていて、この前、あれだけ大きい枝などを切り落としたつもりだったのに、そのことを忘れるくらい、緑で覆われ始めている。

 植物は、すごい。

 毎日、自分は、何をしているのだろう、と思う。

ボブ・ディラン

 3年前に、ライブに行こうとしてチケットを買ったら、キャンセルになった。もう、ボブ・ディランを見ることはないのだろうと思っていたら、今年になって、急に来日するというので、自分にとっては無理をして、行くことにしている。

 必要以外は、ほとんど外出もしないようにしているので、緊張もしている。

 懐かしの曲を演奏することはないと言われていて、今回も2020年発売の「新しいアルバム」を中心にするらしい。

 それは心強いことだった。





(他にも、いろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。





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越智誠  臨床心理士/公認心理師  『家族介護者支援note』
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