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『「介護時間」の光景』(223)「月と火星」。9.9。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。
 おかげで書き続けることができています。

(この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださってる方は、「2003年9月9日」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います)。

「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、私自身が、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的で、しかも断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないかとも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2003年9月9日」のことです。終盤に、今日、「2024年9月9日」のことを書いています。

(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)。

2003年の頃

 1999年から介護が始まり、2000年に、母は長期療養の病院に入院したのですが、私は、ただ病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に在宅で、義母の介護を続けていました。

 ただ、それ以前の病院といろいろあったせいで、うつむき加減で、なかなか、医療関係者を信じることができませんでした。それでも、3年がたつ頃には、この病院が、母を大事にしてくれているように感じ、少しずつ信頼が蓄積し、その上で、減額措置なども教えてもらい、かなり病院を信じるようになっていました。
 それでも、同じことの繰り返しの毎日のためか、周囲の違和感や小さな変化にかなり敏感だったような気がします。

 2003年の頃には、母親の症状も安定し、病院への信頼も増し、少し余裕が出てきた頃でした。これまで全く考えられなかった自分の未来のことも、ほんの少しだけ頭をよぎることがありました。

 それでも毎日のように、メモをとっていました。

2003年9月9日 

『今日は、母の入院している病院で、月に1度の患者さんに渡すための誕生日カードを作るボランティアの日だった。

 午後2時から始まるけれど、少し早めに行く。

 1階の作業室のようなところで、他の方々と一緒にカードを作る。

 秋の虫を描いたつもりだったのだけど、何かうまくいかない。ここまでの変な感じは久しぶりだったけれど、みなさんと一緒だったので、なんとか12枚の誕生日カードができた。よかった。

 午後4時頃に病室へ着く。

 前に約束していて、食べたいと言っていたぜんざいを半分ずつ、母と食べた。

 おいしいと言ってくれて、よかったと思う。

 私が昨日来たのか、一昨日来たのかは、よくわからないらしい。

 最近、会えていなかった、いつも、この病棟でお会いする患者のご家族に久しぶりに会えた。やっと、いろいろともらった御礼の品を渡せた。

 夕食35分。

 バスがなくなるよ。スタッフの方に、そんな声がかけられている。

 ギリギリまで働いているようだ。

 午後7時に病院を出る。

 母は、ノートを書き始めて、1冊目が終わった。

 文章を書けるようになって、いろいろなことを片っ端から書いている、という印象だった。

 とにかく忘れないように、本当に必死なのだろうと思った』。

月と火星

 今日は、月と火星がすぐそばに見える夜らしい。

 母の病室からは、空も大きく見えるけれど、そこから見えるかわからなかった。天候のこともある。

 午後7時少し前。

 窓から、月と、そのそばにくっつくように、明るい星が見えた。

 あれが火星のようだ。

 見えて、よかった。

                     (2003年9月9日)


 この生活は、まるで終わらないように続いたのだけど、その翌年、2004年に、母親の肝臓にガンが見つかった。
 手術をして、いったん落ち着いたものの、2005年には再発し、2007年には、母は病院で亡くなった。
 義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、妻と二人で在宅介護をしていた、19年間の介護生活も突然終わった。2019年には、公認心理師の資格も取得した。 
 昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。


2024年9月9日

 朝は、いつもよりも少し早く目が覚めた。
 また暑くなっている。

 寝ていても、油断すると熱中症になるような気温になった。

 いつまで暑いのだろう。

洗濯

 毎日のように汗をたくさんかくので、今日も洗濯物が溜まっている。

 最近、洗濯機が壊れてしまい、買い替えたので、すごく新しい。

 スイッチを入れて、洗濯の量がすぐに表示されて、それに合わせて液体洗剤を投入し、それから水が出始めるまで、少し時間がかかる。

 待っていると、とても長く感じるが、水が出て、洗濯が始まる。

 それを見届けるまで、まだつい見守ってしまう。

チョウ

 洗濯物を洗濯機に入れているような時間に、庭にチョウが来ることが時々ある。

 今日は、アゲハチョウが飛んでいる。

 本当にひらひらと舞って、次にどこにとまるかわからず、いなくなったと思ったら、また戻ってきたりする。

 それでしばらく庭のあちこちにとまって、気がついたら、視界から消えていた。

 空は、まだ夏のようだ。

時間

 今日は、午後から仕事がある。

 そこへ向かって、緊張感があるせいか、時間の進み方が、いつもよりも違っているような気がする。

 それでも、相談業務は気持ちを整えるのが、当たり前だけど大事なので、なるべくリラックスして過ごすようにはしている。

 準備するような時間が進んでいる。

ルポ 認知症ケア最前線

 もう10年以上前に出版された書籍だけど、そこに書かれているいろいろな問題は、今もまだ解決されていないように思う。そして、特に家族介護者に関しては、改めて本当に理解が進んでいないことを感じ、自分の無力や努力不足も考えてしまう。

 高齢者を介護する家族に対して何をしなければならないか、とりあえず必要なことは保険者にも認識されている。しかし実施状況を見ると、多くて半数、少なければ一割に満たないのが現状である。とくに認知症高齢者を介護する家族の“過酷さ”が、一般論としては理解されつつも、具体的に何がどう大変なのか、事業所にも第三者にも、いまだ理解しにくいものとしてあるのが、残念ながら現在の段階のようである。

(『ルポ 認知症ケア最前線』より)

 この「現在の段階」から、今もあまり変わっていないように思う。

 自分は仕事を続けたいがどうすればいいのか、ということは誰も教えてくれないし、聞いてもくれません。地域包括支援センターの人も、相談にのってくれません。あるいは虐待されてきた、どうしても親の介護をする気になれないといった場合、浮気を繰り返してきた夫の介護が嫌でしようがない、この人をどうして自分が介護をしないといけないのか。こういう相談は聞いてもらう場がありません。生活を総合的に見て、相談に応じてくれる場がないのです」。

(『ルポ 認知症ケア最前線』より)

 こうした話を、「ケアラー連盟」堀越栄子教授がしていて、10年以上前に課題がわかっていたのだと改めて思う。

 私自身は、こうした相談も含めてできる場所(もちろん具体的に、同じ内容ではないのですが)としての「介護者相談」を続けてきたつもりだが、今も、そうした介護者むけの相談窓口が目に見えて増えていないのいので、課題は解決していないはずだ。

 やはり、努力不足や無力感を感じてしまう。 




(他にも介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)




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越智誠  臨床心理士/公認心理師  『家族介護者支援note』
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