夜を捕らえる
2歳半の娘は夜更かしキッズだ。
平日は保育園で2~3時間グッスリ昼寝をしてくるので、夜中近くまで起きている日もある。
ちなみに目覚めるのは7時。
むごいときは5時半。このむごさたるや、伝わるだろうか。
そんな、むごめの朝。
玄関マットの上に、お風呂遊び用の金魚すくいのポイ(アミみたいなやつ)と、おままごとのバナナがおいてあった。
パパッと片付けてしまってもよかった。
しかし、ふだんは浴室のオモチャを室内に出さない約束を守れている娘なので、なにか意味のある行為かもと思い至る。
せっかく話せるのだし聞いてみようと、本人を呼び出す。
「ねね、これはこのまま置いておくやつなの?」
「しょーよ。ヨルをちゅかまえるのよ。」
この世の真理でもはなすように、娘はまっすぐな目でこたえた。
夜を捕まえる…?
マットに放置されたオモチャに与えられた詩的表現に、たじろぐ。
「…どうして夜を捕まえたいのかしら?」
「ママ、もうヨルだからねましょーっていうの。ヨルだから、こーえんもうやってないっていうの。だからヨルをちゅかまえちゃうのよ、このアミアミで!」
ポイを持ち上げ、えらくドヤっている。
なるほどー、なるほどなぁと、その思考プロセスに納得する。
確かに私は、娘が夜の散歩にいきたがるときや、外で遊びの区切りがつかずに「まだ帰りたくないモード」になっているとき、公園やスーパーは夜になると終わりになるよ、もうすぐ夜がくるから帰ろうと諭すのであった。
毎日どこかからやってくる夜さえ捕まえてしまえば、寝なくていいし、ずっと遊んでいられる。
地球歴1000日に満たない頭脳は、そう結論つけたようだった。
つまりこれは、「夜を捕らえる罠」なのだった。
罠の仕掛けから察するに、夜のサイズ感は直径10センチ未満と予想しているらしい。
バナナはエサの役割だ。
以前に「ちゅきはヨルとなかよしなの、いっしょなの~」と言っていたことがあるので、三日月に似ているバナナを選んだにちがいない。
大量にあるおままごとのコレクションをひっくり返し、しばしゴソゴソやってから、黄色いバナナをみつけ、顔を輝かせる娘を想像する。
それは、闇夜に輝く満月みたいに、疲労の取れない朝の体を、明るく照らす輝きだった。
いくつもの夜、わたしの夜
お手製の罠はもちろんそのままにし、会社と保育園にでかける。
18時すぎのお迎え時間には、外はうっすら暗くなっている。
あれ、帰って罠をみるまえに、もう夜きちゃってるけど、どうすんのかな。
娘のリアクションを楽しみに、クラスまで迎えにいくと、さっそく「おにわであそんでかえんの。」という。
夜がきてなかったらね、とだけ伝える。
くつをはいて園庭にでると、固まる娘。
(え…ちょ…ヨルじゃん…。)
フリーズしている横顔に脳内でアテレコをする、悪い母。
しかし娘は、5秒ほど考えたのち、ああ~と心得た風のそぶりをした。
「ヨル、おうちのなかだけちゅかまえたんだった。こんど、ほーくえんのヨルもちゅかまえよっと。」
何食わぬ顔で、うす暗がりのすべりだいを登っていく。
おおん、どうやら夜は場所ごとに分断していて、今回は自宅の玄関に罠をしかけたので、捕まえられるのは自宅にやってくる夜だけ。
保育園に夜がやってくるのはまったく妥当、という理論らしい。
しれっと2度目のすべてだいに興じる娘を見守り、思う。
素直さって、なんてステキなんだろう。
やりたいことや信じていることにまっすぐで、誰の評価もおそれずに、自分の理屈と直感を、大事にしている。
期待も落胆も困惑も、ぜんぶ表情にまるだしで、おかしいくらい単純で。
主人公は、いつも自分。じぶんだけ。
夜がくるなんて天体現象も、こどもにかかれば「わたしの夜」の話になる。
みんなそうだから、決まってるから、そういうものだから。
そんなことじゃなく、わたしにとっての、わたしだけの話。
私は「自分の夜」なんてスケール感を、考えたことはない。
でも同じ日の夜でも、うれしい夜の人、サビシイ夜の人、はやい夜の人に、ゆったりした夜の人。
当たり前に、みんなちがい、ぞれぞれの夜をすごしている。
たくさんの人の、いくつもの夜が重なっているから、こんなに黒が深いのだろうか。
娘にきいたら、「うん、しょーよ!」と言われそうだ。
夜がお風呂にはいる前には
けっきょく15分ほど園庭で遊んでから、自転車の後ろに娘をのせて走り出した。自宅までは、5分ほどだ。
出発するやいなや、「ママ、げんかんにヨルがいるから、ふまないでね」と釘をさされる。
だいぶ小さなものを想像しているはずなので、わかりました、と応じておく。
「夜、捕まってるかな?」
「うん、ちゅかまってるよ。」
「捕まえた夜はどうするの?食べちゃうの?」
「なんでたべるのよ!いっしょにおふろはいってーおみずあげんの!こぼさないよーにもってねって、いうの~。」
どうやら捕虜にした夜は、妹分のような扱いで、世話をやくつもりでいるらしい。
最近お人形あそびのレベルがあがってきたので、その延長なのだろう。
「夜、お風呂入るかな?」
「はいるよ。はいるまえに、おホシさまちいさいだから、なくならないように、ぜんぶとって、カゴにいれておくの。」
娘が髪かざりをつけたままお風呂に入りたいというとき、小さいものはなくなっちゃうと悲しいから、脱衣カゴにいれておこう、と言い聞かせる。
自分はいやだいやだ、このままはいるとゴネたおすこともあるくせに、新入りの夜には先輩風を吹かせてルールを教える気になっている。
かわいくて、おかしくて、ずっと聞いていたいのに、すぐに駐輪場についてしまう。
「お星さまを集めたカゴはさ、キラキラ光ってキレイかもね。」
「しょーよー、ヨルにかーしーて、っていって、いーいーよ、されたら、娘もつけてみんの!」
「それはいいね。素敵かな?」
「しゅてきよぉ~~!!いえい!」
すっかり暗くなった自宅前の道路を、力いっぱいジャンプする。
2歳児の跳躍力なので、数センチしか浮いていないが、そのぷくぷくの手は、夜空の星でも、つかめそうだ。
星の光をかざる人
自宅のドアをあける。
待ってましたと、自分の頭の大きさギリギリに開いたすきまに、ワクワクしきりの全身をねじ込む。
帰宅した娘は、朝となんら変化のない光景に、納得いかない様子だった。
「あれ…あれ??ヨルは…?ヨル、いない…。」
キョロキョロしながら、靴のままあがりこんでリビングのとびらを勢いよくあける。しーーん。
「ヨルいない…ヨルいないよぉ~おお~!」
怒って泣いている。
そりゃそうだろう、今日は寝ないで遊べることと、夜のお世話ごっこを楽しみにしてすごしたのだ。
「夜、いなかったの?つかまってなかった?」
背中をなでると、うんうん頷きながら盛大にビエーーンと泣く。
しばらく抱っこしていても泣き止まないので、そのままベランダに出てみる。
「娘ちゃん、夜だね。すっかり夜になったね。きっとうちの夜もさ、他の夜と一緒がよくておうちに帰ったんじゃない?娘ちゃんも、パパとママのいるおうちがいいでしょ?」
「…おちゅきさま、まんまるだ。」
「え?」
「きょう、おつきさま、まんまるの日だった。バナナみたいじゃ、ない日だった。」
え、そこ?
母の情緒的教育を重んじた発言はひびかなかったですかね?
「あ、うん?そうだね…。三日月の日じゃないから、バナナじゃ捕まえられなかったのかもね…。」
「うん。しょーだ。またこんど、ちゅかまえるのよ。」
さっきまでの取り乱した泣き方がウソのように、すくっとベランダにたち、むすめ、まだくつはいてた~!ぎゃはは~!と自分の姿に爆笑する。
なんとせわしなく、コロコロ感情が変わるんだろう。
月の満ち欠けの規則正しさを見習ってほしい。
ガクっと疲れたのも本音だが、まぁかわいいのでよしとする。
その後はいつも通りにお風呂に入ってご飯をたべて、そろそろ消灯かしら、の絵本タイム。
もう半年以上読んでなかった、Eテレキャラの絵本をもってきた。
最近はディズニーものばかり読みたがったので、めずらしい。
赤ちゃんむけの寝かしつけ内容であるその絵本は、最後のページが月や星や動物たちがみんな寝て、「おやすみなさい」で終わるのだ。
読み終わって「おしまいっ」とページを閉じようとする私の手を、ちょっと待ってと娘がとめる。
「ヨルも、みんなといっしょ。おやしゅみなさい。」
確かに、夜が寝る描写は本になかった。
さらなるハッピーエンドのため、小さな作家が加筆してくれたようだ。
「…夜、みんなと眠れてよかったね。娘ちゃんも、寝ましょうか。」
「や!まだあしょぶ!!あしょぶ~!」
おやおや、さっき片付けたつみきをひっくり返す音がするぞ?
子育てに、キレイな「めでたし」はなかなかこない。
だけどいいか、今日くらいは。
黒い夜がいつ遊びにきてもいいように、カラフルなつみきで「ヨルのおへや」を2人で作った。トイレもついてる、ビップルームだ。
夜を捕まえてみせてはやれないけれど、娘のキラキラした世界の価値を、いつも忘れずすごしたい。
1日1日が、とてもまぶしく、魅力と希望に満ちている。
もし、身に着けることができたなら。
きっと、夜が脱ぎ捨てた、脱衣カゴいっぱいの星の輝きにも、負けないくらい、ステキなことに、なるだろう。
愛しくちょこざいな、あの罠に、私はすっかり、かかっているのだ。
記:瀧波 和賀
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