あめ

「保活」という名の消耗戦

10月。
秋口、と呼ばれるこの季節は、私にとって、何ら不穏のない時期だった。

かぼちゃ味のスイーツを買ってみるハロウィン
ロンT1枚で出かける休日
読書の秋を言い訳に、ついつい多めに買う書籍
ちょっとだけ奮発する、夫の誕生日

ささやかながらに心地よい温度を守っていた私の10月は、産後、まったく知らなかった暗い顔を、新米母に突き付ける。

旧暦では神無月。
まさに神も仏もない、苦しく長い闘いだった。
「保活」シーズンの、幕開けである。

重要で切実で祈りのつまった、ただの紙切れ

急に冷え込んできた11月の上旬。
自宅からバスで20分ほどの区役所にやってきた。

両腕の間には、抱っこヒモの中におさまる、やっと生後3カ月になった娘。
まだクビは座っておらず、インサートがあるとはいえ、頼りないフニャフニャの体に、全神経をとがらせる。

そんな赤ん坊を支える左手には、茶色い封筒が握られている。
中身は来年度の認可保育園申請書類だ。

娘と私の4月からの生活、そして、今後数十年つづいていく家族の人生を左右する、重要極まりない、ただの紙切れが、私の必死さなど興味はないと言いたげに眠っているのだ。

保活をはじめたのは、妊娠安定期に入ってすぐだった。
いや、妊娠時期も出産月を逆算して決めたから、そこからのスタートだったかもしれない。

所属会社の育休は原則1年。延長できて1年半。
0歳4月で入園できなければ、1歳4月はさらに激戦で絶望的、2歳4月の頃には退職を余儀なくされる。
激戦区の都内では、途中入園は見込めない。

認可無認可合わせて20園ほどに見学にいったが、まだ歩けもしない娘を預けたいと思えたのは3園だけで、いずれも認可保育園だった。

なので、この申請が通らなければ、電車で40分離れた駅に引っ越すことになっている。
そこには納得できた無認可保育園があり、予約金を支払って娘の籍を確保していた。
保育料はバツグンに高いのだけど。

額を汗でにじませながら寝むる、娘の小さな頭をなでる。
感染症も流行り出したこの季節に、多くの人が密閉される場所に出かけることが不安で、つい厚着をさせすぎてしまった。

着替えさせようにも、まだ自立できない体を立ったまま扱うことは恐ろしく、ベビースペースには、同じ目的でここにやってきた母親たちが長蛇の列をつくっている。

この地域の認可保育園全体の新規児童受け入れ数は、たしか300人程度だったはずだが、受付番号はすでに2000番代の後半だ。

みんな同じなのだ。
どの親も、大事な我が子の健やかな新生活と、それぞれの家族がよしとしたライフスタイルの実現のため、ここにいる。

子を産み、明るい未来を期待する、希望にあふれているはずの私たちは、こんな人数の来客を想定した作りではない保育課の、狭くて無機質な応接スペースに、歓迎されることもなく、ひとまとめにされている。

人口密度の高い室内と、連れている子供の熱量で、みなじっとりと湿っており、顔はイラだち、不安げだった。

保活は人生に直結する

保活にやぶれることは、待機児童になって終わりという話ではない。

入園できなければ自宅保育が続くので、祖父母の大きな協力などがない場合には、両親どちらかのキャリアが途絶え、職を失い、生涯収入が大きく減り、その家族の人生の選択肢が減っていく可能性がある。

または我が家のように、住みたい街を追われ、慣れないワーママ生活を見知らぬ土地で、頼れる人もなく、はじめていかなくてはならないかもしれない。

女性の社会進出はすすんでいるが、現状では多くの夫婦で夫のほうが収入が多く、妻主体に育児をする場合が多数派なので、保活の結果によって人生が激動するのも、母親である場合が多い。

保活の結果によっては、2人目をあきらめたり、住宅購入を断念するきっかけにもなり、しかも子の預け先が決まるまで、保育園探しはずっと続き、終わりのメドも立ちにくい。

区役所で2時間待って申請書類を提出したあの日、グズリだした娘を殺風景な廊下であやしながら考えた。

私の働いてきた数年や、愛着をもっている会社への在籍権利、まだまだ多くのキャリアを積みたい向こう数十年が、封筒の中の、こんな薄っぺらい無機質な用紙にかかっているだなんて、嘘でしょ、と。

悔しかった。
保育園に入れるかどうかで、私の人生は決まるのか。
私の意思を置き去りにして。
保活に失敗する。それだけで、何もかも、取り返しがつかなくなるのか。

子供を望んで授かって、まだ始まったばかりの育児に、とんだ横やりを入れられたような気持ちだった。

母になり仕事を続けていくことは、あたりまえの選択肢ではなく、保活という第一予選を突破して、はじめて立てるステージらしかった。

幼い我が子のかわいさに揺らぎはないはずだが、待機児童となり、復帰の予定が宙ぶらりんの中、育休期間が減っていく焦りは、目の前の笑顔を、いくらか陰ってみせることもあるだろう。

家族の人生だけでなく、子供を育てていくために重要な「心の余白」までもが、この戦いにはかかっている。

例えるなら、ずっと心に降り続ける雨

保活は情報戦だ。

単純に「いい園」「合いそうな園」をみつけていくだけではなく、「許容範囲な上に入園できそうな園」を探さなくてはいけない。

募集人数が多くみえる大規模園には、それだけ多く在園児が通っており、寛大にみえる定員数の大半は、兄弟加点をもつ新入児で埋まっていたりもするし、たいていの人は自宅から近い園を希望するので、地域の出生数もカギになる。

家族の幸せのため、妊娠中や生まれて間もない赤ちゃんをかかえながら、懸命に情報を集めていく。

どんなに集めても集めても、「これで必ず入れます」という確証は得られない。
不安の雨が降りしきる。

そんな心もとなさを抱えながら、園見学に赴き、ネット検索し、ママ友の口コミに小さく頷き、情報を整理する。

そうして書いた申請書類は、提出までも多大な労力が必要なのだが、そこから発表までの2か月あまりが、また、苦しい。
無事に期限内に提出できた安堵など一瞬だ。

入れた場合と入れなかった場合をあれこれ考え、脳内でフローを考えることも負担だったが、これほどまでに保活に心血を注ぐ自分は、まだ小さな娘と、そんなに離れたがっているのか、と責める声が聞こえるような気がした。

私はなんとしても保活を成功させ、娘を希望園に入れたかった。

それは「正社員として働き続ける」という自分の希望のためであり、夫との話し合いでもベストと結論は出ていた。我が家の最適解だと。

だけど、「3歳までは自分で育てたい」という幼稚園志向ママや、保育園希望でも「申請書は出したものの、やっぱり離れたくないから、落ちたら落ちたでいいや、むしろ落ちたいくらい」というママの意見を聞くたびに、固まっていたはずの決意が、ゴリゴリ音を立てて削られていった。

入園できるかどうか、復職できるかどうかばかりを気にして、娘と離れる寂しさを特段感じていなかった自分は、とてもひどい母親のような気がした。

あっちの子には「ずっと側にいたい子」、私の娘には「他人に預けてしまいたい子」というレッテルが、乱暴に貼られたような気さえした。

娘は可愛かった。育児も楽しかった。
だけど仕事をやめたくない。

私の中でこの2つは同軸上で綱引きをしている存在ではなく、別軸として存在していたので、「娘もかわいいし仕事も手放さない」という思考だったのだが、「子が可愛いなら仕事は二の次」という他人の思考を垣間見たとき、やはりウッとくらうものはあった。

そう話す相手は私を責めていないし、人は人、自分は自分で割り切ればいいのだが、保活の疲労と先のわからない不安が、私の中の多様性を受け入れるシステムを破壊していて、
どっしり固まった岩石が、するどい雨で少しずつすり減っていくように、ザーザーぽつぽつ、たえず波紋を広げていた。

保活とは、そんな「消耗」そのものだった。
雨はやまない。傘から外に、出られない。

内定通知のその先に

2月。認可保育園の合否判定が郵送されてきた日は、雪が降っていた。

白い外気のなかを、コートも羽織らず、腕を組むだけの装備で郵便受けまで走った。
やっとお座りが安定した娘をベビーゲートの中で待たせて。

かじかむ手で、封をやぶり、やはり薄っぺらい紙を読む。
合格だった。第一希望の園に、娘の入園が内定していた。

嬉しくて嬉しくて、誰もいないマンションの階段で、やった!!!と叫び、部屋に戻って娘を抱きしめ、夫にすぐ連絡を入れる。
これで一安心だ。よかった。本当によかった。

興奮と歓喜と安堵。
2カ月間、胸につかえていた先の見えなさがスッキリしたお祝いに、とっておきの生パスタを茹でて、娘にも大好きなカボチャを振舞う。

終始喜びに高揚しながら娘がお昼寝し、ひとりで改めて内定通知に向き合ったとき、わいてきたのは、たしかな達成感と、ジワリとにじむ後ろめたさだった。

娘が内定した園の0歳児クラスは、おそらく10倍を超える倍率だっただろう。
入れなかった人のほうが、ずっと多い。
児童館や支援センターで知り合った保活ママたちも、多くは認可保育園に入れなかったはずだ。

その中には、私よりも復職に思い入れがあった人や、我が家よりも経済的に待ったなしのご家庭、親と子供に離れる時間が必要な状況も、あったかもしれない。

聞いてもいないのに、そんなことまで心配するのは、偽善的であると理解していても、ほのかな苦さは胸に残った。

両親フルタイムの家庭同士では、該当年度の納税額で勝負が決まる場合が多い。

私が妊娠初期から入院続きで休職していたこと、夫がフリーランスなので収入調整ができたことで、我が家は通常の年収よりも、かなり少ない金額での申請が可能だった。

これは別にインチキではなく、偶然と計画的な保活の結果なのだが、こうした本当の意味での「情報戦」に参加することができるのは、生活にいくらかゆとりのある家庭ばかりだ。

一律に提出書類の点数で判断される保活には、家庭ごとの「個別の事情」と「切実さの程度」は反映されない。少しもされない。

私は、もっと大変なご家庭もあるかも、とわかりつつも、自分の子の入園を最優先させた。
みんなそうかもしれない。悪いことではないかもしれない。

だけど、こうやって公的なネットに引っかかれずに、家族単位だけで自己責任のように問題を抱えていく人たちがいることを、福祉業界にいた私は知ってもいて、現実に、手放しに大喜びだけしていることは、できなかった。

育児を保活から解放するには

各自治体は保育園の増加を急いでいて、保育士さんの待遇改善や、親の働き方の多様化も叫ばれている。

しかし今年もまた保活は行われ、少ない在籍イスをかけて、親たちは精神を消耗しながら、情報戦を戦っている。

1歳まではそばにいたい。
歩くまでは、話すまでは預けたくない。
そう願うことは、少しも罪ではないはずだ。
育児に奮闘する親が、自分の意志だけで、納得して選択してほしい。

でも0歳4月で預けなくては、正社員でいられる保証はない。
子持ち女性の再就職も、なかなか厳しい。

保活がイヤだから、第一子の在園中に第二子を授からなかったら、2人目はあきらめる、という意見もある。
それだけ保活は削られるのだ。

保活の動機も、経済面であったり、子供と離れる時間が欲しかったり、キャリア思考であったり、人によってちがう。

同じ「保活」をしていても、それぞれに目的はちがうのだ。
他に手段がないので保活に集約されているだけで。

保育園を増やす施策は、職場に戻りたい人のためには機能している。

だが、子供と離れ、自分時間や休養が必要な人には、何も職場復帰でなくても、毎日フルでなくても、子供を気軽に預けることができる施設があればよい。

経済的な問題で、本当は自分の手で育てたいが、収入のために復職を余儀なくされている人には、子育てにかかる費用負担が軽くなれば、そもそも施設は必要ない。

認可保育園の申請書類をみて一番驚いたことは、「なぜ預けたいのか」という設問がないことだ。

申し込みが多いから、待機児童が多いから、と単純に保育可能数を増やすのではなく、それぞれの家庭の「本当の需要」を集計していかないと、適切な解決策は出てこないのではないだろうか。

本当は手元で育てたいのに、お金のために涙をのんで預ける人も、預けて復職したいのに、収入が高いために認可保育園に合格できない人も、どちらも困っている。

今年も認可保育園には、多くの申し込みがあることと思うが、曇りなく、嬉々として申請している親は、案外少ないのかもしれない。

1年以上をかけて取り組んだ保活。
それは苦しい戦いに違いなかったのだが、その最中、ずっと考えていた。

私はいったい、何と戦っていたのだろう。

子供が増えた家族の、よりよい生活のための活動に、倒すべき敵が存在してしまっていいのだろうか。
子育ては、そんなに困難でなくてはいけないのか。

私のように、心の雨に傘をさして耐えていた、凍えるような保活がなくなり、晴れ渡る育児の空に、傘を投げ出し、笑顔で子供とかけていける親が増えることを、11月の曇った天気に、弱々しくも祈っている。

記:瀧波 和賀

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瀧波 わか
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