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産後の抜け毛に、夫がひとこと。

髪の毛というものは、恋人の頭についている時は、こんなにも愛しいのに、床に落ちた途端、おぞましいものに変わるのは、なぜだろう。

大学生の頃、辞書を片手に読んだフランス人作家の小説に、こんな一文があったことを覚えている。

詩的でなめらかな文であったのに、その生活感あふれる描写がとても気に入り、当時愛用していたルーズリーフバインダーの裏表紙に、原文を書き写して持ち歩いた。

私はこの作家の感性に、ことごとく同意した。

恋人の髪の毛に指を絡めて愛でるとき、誰もが甘い言葉や豊かな未来を囁きながら、伏し目がちに穏やかな視線を送る。

そこには一切隠されていない、赤裸々な「愛しい」が存在していている。

しかし、ひとたび頭皮を離れ、毛束とはぐれた何本かの髪の毛が、磨いた床にハラリと落ちると、その呼び名は「ゴミ」になる。

加えて、ゴミ袋にまとまっていないそれらは、とても不躾で品の悪い、だらしなさの象徴ですらある。

私は特段キレイ好きということもないのだが、髪の毛が床に落ちている状態には、なかなかに抵抗があった。

不潔であるし、細長い毛が絡み合うサマがどうにもおぞましく、眉間にピリリッとしたものが走るのだ。

そんな私は、産後2ヶ月をすぎた頃、自らの抜け毛の量に、阿鼻叫喚とするのだった。

想像をはるかに超えた、抜け毛の量

子を産むと、一時的に抜け毛が増えることは知っていた。
驚くほど抜けた!排水溝がつまりやすくなった!など、諸先輩たちの体験談はネットにあふれているからだ。

私はそれを想定して、妊娠後期にロングヘアをボブにしていたし、いちいち掃除機を出さずに済むように、ハンディクリーナーも購入していた。

心の準備もできていたはずだったが、1日単位でランダムにハゲの広がる生え際は、産後のメンタルに強いショック刻みつけた。

シャンプーのたび、黒々とした抜け毛が排水溝を埋め尽くす光景は、「排水溝につまった髪の毛」ではなく「下に排水溝があるらしい、巨大な毛の渦」だった。

鏡にうつる抜けたての頭皮も、明らかに少なくなったまとめ髪も、家中に散らばるダラけた抜け毛も、なにもかもが、とにかくイチイチ悲しかった。

スカスカの前髪と広がったおでこを隠したくて、ヘアーバンドを買ってみても、そんな小洒落たアイテムになじみがないので、まったく似合わず、もう散々。

購入日にそのまま娘のオモチャになったグレーのヘアーバンドは、私の心の空模様と、そっくり同じ色だった。

しょっちゅう夫をつかまえては、「ねぇねぇ、すごく抜けたよね?」「ここなんてハゲあがって、みっともないよね?」と浮気の証拠でも突き付けるように、ずいずいずずいっと、粗末な生え際を見せつけた。

夫は一貫して「そうかな?気にならないけどな?」と明るく答えた。

気遣いだ、優しさなのだ、とわかっていても、「コイツは嘘を言っている!」と恨むような気持ちがした。

素直に「うん、ハゲたね。」と言われたら、絶対怒ってヘソを曲げたクセに、変わり果てた私の頭皮を、夫が受け止めないことにも、どこかで不満を持っていた。

我ながら、なんてめんどくさいのだろうと思う。

それでも、生後2か月の赤子を抱えた私には、この深刻な事態を一緒にみつめる同士が必要だった。
同情して憐れんで、悲劇に共感してほしかった。

だけど夫は頑なに、私の抜け毛を「気にならない」と言い続けた。

欲しい回答が得られない私は、しつこく同意を求めることをやめるかわりに、抜け毛の悩みを、夫にいっさい話さなくなった。

夫婦仲が悪くなるのは本末転倒だと思ったので、自分の悲しみは、重りをつけて、泉にそっと沈めたのだ。

これだけは、と死守したもの

赤ん坊がいても、気軽に掃除ができるようにと購入していたハンディクリーナーは、想定以上の活躍をみせた。

際限なく抜けまくる髪の毛を、私は神経質なくらいに吸い集めた。
床に雑然と散らばるそれらを、夫にみられることが、恥ずかしかったのだ。

”髪は女の命”まではおもっていなくても、薄毛は私をみじめな気持ちにしたし、そのうえ、掃除までできていないと、女としての自分と、主婦としての自分を、ダブルパンチで損なうような気がしていた。

夫が掃除に文句を言ったりしないであろうことは、十分に理解していたが、これはあくまで「私の問題」だった。

自分の身体から脱落した一部を、素早く処理することで、歪んだ自尊心を守っていたのだ。
そんなちんけな自分も、また、恥ずかしかった。

しかし産後3ヶ月頃。
脱衣所から夫の「うわッ!」という声が聞こえて駆けつけると、片付け忘れた私の髪が、オレンジの床を埋め尽くし、毛の長いマットにだらしなく絡みついている状態だった。

しまった、と全身が硬直した。
掃除を忘れてしまった焦りと、夫にひかれたであろう悲しさが混ざって、「ごめん、汚くてごめん、ごめん…」とゴニョゴニョ言いながら、無表情な抜け毛を、しゃがんで素手で拾いはじめた。

情けなくて、顔をあげることができない。
何か大きな動きをしたら、こらえている涙が止まらなくなるだろう。
リビングで娘が泣き出したが、この効率の悪い作業を、打ち切るきっかけがつかめない。

そんな地獄の空気の中、夫がきっぱり宣言した。
「ねぇ、やめてよ。」

背筋が凍る。
その声は、いつもヘラヘラしている夫にしては、思いつめたトーンだった。

「俺の奥さんが、俺の子どもを育てるために生んだものを、汚いなんて、言わないでよ。」

変な日本語だ。意味がよくわからない。
なのにせき止めていたものがあふれて、視界をぼやかす。
もう床の髪の毛を探すことも、できなかった。
そんな必要など、はじめからなかったのだと、囁くように。

産後の抜け毛は、失ったものではなくて、母の努力が生んだもの

その夜、1ヶ月ぶりに夫と抜け毛の話をした。

どんどん薄くなる頭皮が不安で、女性としての自信を損なったように感じること、床に落ち続ける髪の毛が不快で、何十回とかける掃除機が負担なこと、悲しい気持ちに同意してもらえないことが孤独なこと。

夫はうんうん、とだまって聞いていた。
そして一通り私が話して落ち着くと、そんなにツラかったのにわからずごめんね、と言ってから、独特の解釈を口にした。

まず、産後に髪が大量に抜けるのは、母乳の影響もあるし(※諸説あります)、出産と育児を頑張った、という証拠でしかない。

なので、床に散らばる抜け毛は、頭皮→床という脱落組ではなく、出産をしたからこそ生まれた、まったく新しい存在で、「抜け毛」を超越した、選ばれし「エリート毛髪」である!という話だった。

私は、「なに、それ。」と思った。

なにそれ、めちゃくちゃポジじゃん…とココアを啜りながら、クククっと笑った。
心にスーっと甘味が広がる。

夫の話はトンチンカンだった。滅裂だった。
でも少ない語彙をかき集めて熱弁するサマが、何度もいったり来たりで繰り返される言葉たちが、その「圧巻の肯定」こそが、私の欲しかったものだった。

それからは、リビング以外の床掃除は、夫の朝晩の日課になった。

「落ちてる髪をみるのがツラいなら、俺が掃除するよ!」と提案した夫は、
「♪今日も~たくさん抜けている~♪ママちゃん~たくさん~ありがとね~」とオリジナルソングを歌いながら、ハンディクリーナーをかけた。

おいおい、「エリート」から「抜け毛」に戻ってるがな!というツッコミは心にしまい、掃除の時間が減った分、娘をたくさん抱っこする。

そして数日がたったとき、夫はいった。

「ママの髪はまっくろでツヤツヤだね、きれいだね。床に落ちてるのを一本ずつ眺めてみて、気づいたよ。
このエリート毛髪を押しのけて生えてくる新しい毛はさ、スーパーサイヤ人理論でいうと、もしかして…金髪なんじゃないの!?フー!!」

もはやサッパリわからない。
滅裂というか、むちゃくちゃだ。

だけど、あんなに憂鬱だった抜け落ちた毛に、ちょっとほほ笑める自分がいた。

「産後 抜け毛 いつまで」と何度も検索していたのに、ま、そのうち終わればいっか、と気楽に思える。かつての重さが嘘のように。

この髪が抜け続ける限り、夫の変な鼻歌は続く。
妻にゴールドの産毛が生えることを期待しながら。

それは、そんなに悪くない生活だと思えた。

夫は集める。床に散らばる、大量の毛を。
妻の努力の結晶である、愛しく、美しい髪の毛たちを。

記:瀧波 和賀

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瀧波 わか
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