#024_IDOL is LIFE / case.04_天野なつ
やってきましたアイドルタイム。
(少し構成を変えて時系列にしてみた)
本日は元LinQ2代目リーダーの天野なつ。
大怪我〜脱退を経て現在はソロで活動する彼女。
とにかく活発で明るい印象を受けた彼女を紐解いていく。
教室に2個しかないボールを男子ととりあっていた
姉がふたり、兄がひとりの4人きょうだい。
両親は共働きで、父親は料理人。
ブログで度々取り上げられるほど、家族は仲良し。
小さい頃はやんちゃで手に負えなかったそう。
彼女の覚えている最も古い記憶も、ソファでハネてそのまま窓に突っ込んだ記憶だ。
2番目の姉と兄がダンススクールに通っていたこともあり、彼女自身もダンスミュージックが好きだったという。(ダンスはやらなかった)
小学生の頃は、男子と遊ぶことが多くドッジボールやドロケイをしていた。
みんなに「遊ぼう」と声をかけるのは彼女だった。
当時モーニング娘。が好きだったそうだが、恥ずかしさから周囲へ言うことができずひとりでこっそり楽しんでいた。
AKB48が大好きだった高校時代
高校ではダンス部に所属。
ダンスが好き、というより体験入部して楽しかったのと、幼馴染が入りたいといっていたことが理由。
とにかく学校が大好きで、部活や体育祭には全力投球、先生とも非常に仲が良かった。
アイドルになったきっかけ
アイドルになったきっかけがまた面白い。
2番目の姉とLinQ初代リーダー上原あさみが親友だったことから始まる。
上原あさみはプロデューサーから言われ、新人アイドルを探していた。
姉のところにも「可愛い子近くにいないか」と連絡が来ていたそうで、
姉は妹である天野なつに「アイドルになりたくて可愛い子いないか」と聞いていた。
天野なつは自分がなるつもりもなく、学校中を探していたという。
そんな中、プロデューサーが妹の写真を見て「この子連れてきて」となったことで、「失敗してもいい経験だし受けてみるか」という気持ちで受けた。
そこでブーツを履いたまま踊って転んでしまったが「すみません!」ととにかく笑顔で対応したことがプロデューサーの目にとまったそうだ。
アイドルとしての苦悩
ダンスも一時期ガンガン激しく踊るようにしていたときがあって。
先生からは「全部激しくしちゃダメ」みたいな感じのことを言われて。
でも、ファンの人達は、その元気な感じが好きって言ってくれていて。
「じゃあどうすればいいの?」って。
アイドルならではの悩みだ。
それでも、自分がやりたい方向に突き進むことで、みんながついてきてくれたことが嬉しかったそう。
そしてライブの物販での話。
物販が非常にうまく行かなかった彼女は、とにかくいろいろなアイドルのブログや記事などを見て勉強したそう。
自分が憧れていたアイドルの姿に近づく努力を怠らなかったのだな、と感じた。
LinQのリーダーとして
一番つらかったのは、初めての全国ツアー初日。
ライブがうまく行かず、自分でも納得できないまま、ファンの人からも色々言われてしまった。
その日の夜は一睡もできなかったそうだ。
そこから構成やセットリストを一気に変え、みんなで話し合い練習し、修正をしていった。
そして、その後語っていた、リーダーとしての役割をまっとうしようとする彼女の言葉は、とても大人びているなと感じた。
リーダーとしてはシビアな目線でメンバーのことを見ていきたいと思います。私、今までまだまだ甘かったんですよ。
ガツン!て言うタイプではなかったし、年上の人だとちょっと遠慮してしまうし。でも今後はこの子ここが足りないなとか思ったら厳しく行きたいと思います!
上は7つ上、下は8つ下から成る32人グループをまとめるのは非常に難しいことだと思う。
リーダーとしての経験は、アイドルをやめて別の仕事をしてもきっと活きてくるのだろうなと感じた。
がんばれ、天野なつ。
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