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自分に「割れ窓」を作らない

タイトルの「割れ窓」とは、1982年にアメリカの犯罪学者ジョージ・ケリング博士が提唱した「割れ窓理論(Broken Windows Therory)」の「割れ窓」のことです。この理論、ご存じの方も多いと思いますが、復習的に振り返ってみると、、、

ある地域で割れた窓が修理されず、放置されていると、「だれもその地域には関心を払っていない」というサインとなり、犯罪が起きやすい環境になる。

という理論です。実際、この理論に基づき、1990年代のニューヨークでは、地下鉄や街中の落書きの清掃、タクシーの美化作戦などを徹底的に行なった結果、犯罪率の低下に成功したとされています。

と、ここまでが事実で、ここから先が私の考えですが、この「割れ窓理論」は人間にも当てはまるんじゃないかと思います。自分のどこかにケアされていない部分があると、「だれもこの人間には関心を払ってないサイン」となる。

そのサインを自分が受け取ると、自暴自棄になりやすかったり、他の人にそのサインを受け取られてしまうと、軽んじられたり、騙されたりする原因になる。逆に、割れ窓を作っていない人は、割れ窓を作らないそのこと自体がある種の魅力になり、また、尊さとなって、自然とリスペクトされるのではないか?と。

話は少し脱線しますが、映画『PERFECT DAYS』の主人公 平山、マンガ『路傍のフジイ』の主人公 フジイは社会的なステータスからしたらリスペクトを得にくい仕事や立場にいます。それでも、わたしたちは、平山やフジイに惹かれる部分がある。そして作中ではありますが、リスペクトされている。その理由の一つが、彼らが自身に対して割れ窓を放置していないからではないか?と思うのです。

では、どうしたら割れ窓を作らない生活ができるのか?

それは、「見えてないところをちゃんとすること。」だと思います。平山の部屋には普段は誰も来ませんが、それでも毎朝、布団をたたみます。フジイの家も、誰かが来る想定でない日でも片付いていました。

外から見えるところは誰でもケアしますが、見えないところのケアが「割れ窓修理」にあたる。そう考えて我々に引き直せば、靴は脱いだら揃える。打ち合わせや外出の予定のない日もお化粧やひげ剃りをちゃんとする。その日に使った食器はその日に洗って戸棚にしまう。そんなことなのではないか?と。

そして当然、誰も見やしないけれど、かかとにはクリームを塗ることです。


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kazkida
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