上手な雑談法


「雑談がうまくできない」「何を話せばいいのかわからない」「話が続かない」こうした
相談を受けたことがあります。IT職に就いている人でコミュニケーションが苦手という方からの相談でした。そもそも雑談というものは何のためのものなのでしょうか。

サルを観察すると、仲間や家族の毛づくろいを頻繁にしていることに気付きます。両手を使って器用に毛をつくろいますが、相手は気持ちよさそうに目を細めていたりします。これが猫なら舐めるという行為に変わります。親猫が子猫を舐めるのはもちろんですが、他の猫に対してもそうしますし、飼い主である人間にもペロペロと舐めてきます。どういう状況での行動かを観察すればそれが親愛の証であることが分かります。

サルが人間へと進化する過程で毛を失う替わりに言葉を得ました。では、親愛の証である毛づくろいはどうなってしまったのでしょうか。言葉を交わすという行為に取って代わられたのです。これが雑談ですね。「ひきこもり」という言葉を広めたことで有名な心理学者の斎藤環さんはこれを「毛づくろい的会話」と呼んでいます。雑談とは情報交換が目的ではなく親愛の情を相手に伝えるための行為だというわけです。

他人とは何でしょうか。それは自分に危害を加えるかもしれないリスクを持った存在です。となれば常に警戒をしていなければなりません。敵かもしれないという前提で付き合うのは健全なことですし、人の本能にかなっています。

人にとって人は基本的に敵なのです。仲良くありたいと思うなら敵ではないというサインを常に出すことです。「私はあなたの敵ではありませんよ~」「あなたに危害を加えたりしませんよ~」と訴え続けること。円滑な関係でいるためにとても大切な行為です。そのためにサルは相手の毛づくろいをし、猫は舐め、人間は言葉をかけるのです。

「雑談がうまくできない」という悩みはどこから来るのでしょうか。雑談をすることで相手を感心させたり興味を惹かせたりしようしているからではないでしょうか。

くだらないことを言ったらバカにされるんじゃないか。面白いことを言わないと相手は喜んではくれない。そうした心配が言葉を詰まらせてしまう要因でしょう。必要以上に大きな意味を込めたりいいことを言おうと構えたりするから、雑談に「うまい」「へた」という基準が生まれてしまうのです。

意味ある内容である必要はありません。天気の話でも、見たテレビの話でもいいのです。その場の思い付きの話で構いません。雑談とは毛づくろいなのですよ。言葉をかけること自体に意味があるわけです。黙っていても人は自分を好きになってくれるはず、と思っていたら甘えと言うものでしょう。

関係を円滑にするためにサルも猫も一生懸命に努力しているわけです。人間だって同じこと。その努力を怠たれば敵認定されることになります。しかしその努力をするのはとても楽しいことなのです。
                                             

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