広末涼子のW不倫〜バッシングするのはどんな人?
報道番組のトップを飾るほどのビッグイシューになってしまった不倫騒動。
バッシングの嵐が吹き荒れているが、ここまで叩かれると
広末側にも立ってみたい気持ちになる。
広末涼子。90年代後半に大ブームを巻き起こした
スーパーアイドル。
私にとっては、鉄道員(ぽっぽや)の印象が強烈だ。
高倉健扮する主人公の死んだ娘役として出演。
老いた鉄道員の心の中に生きる優しい娘の役だ。
この世のものではない雰囲気
あまりにも純粋に父を想う姿
あどけなさの中に大人の部分がしっかりとある
明るさの中に悲しみが透けて見える。
そんな存在を体現できる女優は限られる。
広末は見事なはまり役だった。
その役柄の通り、純粋、可憐、透明感、
広末から感じられるのはそうしたものだ。
2度の結婚で儲けた3人の子供。
2022年にはベストマザー賞を受けたが
素敵な母親であるに違いないというイメージが受賞の原因だろう。
その彼女がW不倫とな???
週刊誌が騒ぐのは当然。
清純なイメージからの振れ幅が強烈。
北極点からいきなり南極点に行ってしまう様なインパクトだ。
裏切られた。
それがファンの思い。
ファンでない人にとっては、
家族を傷つける不倫ぶりが許せないことだろう。
恋は素敵なもの。けれども家族は何より大切。
嫌な仕事も家族なら頑張れる。
スマホの待ち受け画面は、ニッコリ笑う家族写真。
それが普通の労働者というものだ。
それがどうだ。広末涼子。
3人の子供がいながら、全力で他人との恋に走る。
しかも見たか?
お相手のゴリラの様な風貌を。
お似合いのカップルというには程遠く
暴露された直筆の交換日記を見てみれば
男のこれまたきったねー字。
広末の方はイメージ通りの可愛い文字だが
その内容がえぐい。
当然の様に巻き起こるバッシングの嵐。
ここで疑問を呈したい。
バッシングしているのはどんな人達だろう。
心理学者ジョン・ホランドが唱えたREASECと呼ばれる理論がある。
人間のパーソナリティーは6種類に分類されるとしたものだ。
現実的
研究的
芸術的
社会的
企業的
慣習的
の6つ。
人は誰でもこのどれかに分類されるというのがこの理論の主旨で、
世界中で採用されている
キャリア心理学の中でも最もポピュラーなもの。日本の厚労省もこれをベースに様々な施策を打っている。
この中で広末はどのタイプだろうか。
間違いなく「芸術タイプ」だ
音楽家、画家、デザイナー、などクリエイティブ職につく人のほとんどが
このタイプ。もちろん女優もそう。
広末はどういう女優なのか。
純粋で真っ直ぐで疑うことができない。
彼女が持つイメージは実は本人が持つ特質そのものではないかとも思う。
あまりに純粋であるが故に、想いが募ると周りが見えなくなってしまう。
想うこと以外は、意味のない雑音に過ぎない。
芸術とはそういう世界から生まれるものだ。
倫理や常識から生まれる芸術はない。
雑念のない感性があったからこそ、広末というスーパーアイドルは誕生した。
そして世の人々はその姿を楽しんだ。
しかし、一途な想いは諸刃の剣だ。
映画の中ではエンタテイメントになるが現実に持ち込めば招くのは悲惨な結果。
猿之助の心中事件も根は同じだと言えるかもしれない。
純粋過ぎて周囲を敵にしてしまった。
さて、このグラフだが6角形というところに実は意味がある。
その位置が遠いほど、価値観が遠くなる。
対面にいるタイプは正反対の特質を持つということだ。
「芸術タイプ」の正反対は「慣習タイプ」。
「慣習タイプ」とは、ルーティーンワークを好むタイプ。
ルールを守ることが気持ちよく、
定形文を使いたがり、ミスを嫌う。
職業で言えば、経理、公務員、一般事務員などがこのタイプだ。
そして芸術タイプに対しては価値観が真逆なことから理解がない。
広末へのバッシングの中心にいるのは慣習タイプの人々だろう。
道徳、規律、ルールからはみ出たものを毛嫌いするのが特質だから。
一方、広末は純粋な芸術タイプなのだ。
真子さんと小室圭さんはバッシングにめげず結ばれた。
広末の恋は実るのだろうか。
一途な恋と永遠の恋は別物。
周りが見えずに落ちた恋は、一時的なものでありがちだ。
今は熱く燃え上がっている。
世間のすべてが敵であるほど、さらに燃え上がっていくのか。
それとも、周りが見えてきたことで冷めてしまうのか。
冷めてしまった時、残るのは傷ついた家族と、はかない女優生命だ。
それがとても怖い気がする。
願わくば時間を味方につけてハッピーエンドの道を探って欲しいと思うのだ。