松本人志の欲望と野望
松本人志の性加害が大きなトピックとなっています。
松本氏と言えば、芸能人ピラミッドのてっぺんに立ち、一挙手一投足が絶大な影響力を持っていた人物。
我が世の春を謳歌し、栄華の頂点に君臨していた人物が一夜にしてガラガラガラ!と崩れ去る。ドラマチックなその様子を目の当たりにしているかのようです。
天才か、悪魔か。誰が得をし、誰が滅び去るのか。世間の興味は尽きません。
しかし興味のポイントは人それぞれ。キャリアコンサルタントである私としては、ただの興味本位で終わらせたくはありません。この一件を足掛かりに生き方のヒントを導けないか、と考えました。ポイントは「欲」、松本人志を突き動かした「欲」とは何だったのか、というところに行きつきました。
「マズローの5段階欲求説」
人間の欲求を5つの階層に分け、一つの欲求が満たされると上の欲求に移行していくという理論。アメリカの心理学者アブラハム・マズローによって提唱されました。
下から順に①生理的欲求②安全欲求③愛、帰属欲求④承認欲求⑤自己実現欲求。欲求には5つの段階があり、ひとつが満たされるとその上の階層に進むという法則があるとしています。
①「生存欲求」は生命を維持するための欲求です。食欲、睡眠欲、性欲、生きたい、死にたくない、という生物にとっての最初の欲求です。
これが満たされるとその上の②「安全欲求」が現れます。こうして愛・帰属欲求、承認欲求と続き、最終的には自己実現に到達するとマズローは言っています。
「人の欲には限りがない」とよく聞きます。その言葉だと「欲」とはとても不可解で不気味なもののように聞こえます。しかし、マズローは欲には限りがあり、自己実現という終着点の存在を示しました。(マズローは晩年になって自己超越欲求という6段階目があると発表した)
さらに生理欲求から始まって自己実現へと向かうとし、
「欲」には「方向性」があることを示したのです。
マズローが表したピラミッドは「人は何のために生きているのか」という
根源的な問いへのヒントを伝えている気がしてなりません。
低次の欲求が満たされると高次の欲求に移るとしましたが100%満たされる必要はありません。
一般的な人の場合で、生理的欲求の85%・安全の欲求の70%・社会的欲求の50%、自尊心の欲求の40%、自己実現の欲求の10%と言われています。
その個人差はとても大きいものです。
いきなり話が飛びますが2500年前の釈迦のことを考えてみましょう。
釈迦は一族の王子という身分を捨てて修行の旅に出ました。あまりに激しい苦行のために、釈迦はすっかり衰弱してしまい、死の淵をさまよいます。その時にいた村娘がくれたおかゆで回復し、悟りを開くに至りました。
釈迦はどういう欲求を満たしていったのでしょうか。
生存欲求はゼロ% 安全欲求ゼロ% 愛と帰属の欲求ゼロ%
承認欲求ゼロ%
つまり、釈迦は最初の4段階の欲求がないままに、いきなり
自己実現へと向かったのです。いかに特別な人物だったかがよくわかります。
では、松本人志はどうでしょうか。
マズローの欲求説を用いて、氏の欲求を分析してみましょう。愛と帰属の欲求が乾いていたのは間違いありません。人と結ばれたい、愛し愛されたいと思ったことでしょう。
これに加えて承認欲求が強く働いたと考えられます。有名人ですから社会的な承認欲は満たされていたでしょう。しかし、この欲求には人を支配したい、従属させたい、という感情が含まれます。
彼は「俺の子供を産めや」と女性に言ったそうですが、理不尽な言葉を承認させることに愉悦を覚えていたのでしょう。そして、こう考えたかもしれません。
『普通の人間ならダメだが、俺は許される。なぜなら特別な人間だからや。それを証明したる。証明せんとあかんのや。』
そこには、常人では考えられない強烈な承認欲求が存在しています。
松本人志を動かした2つの欲求。問題はそれが満たされた時、どうなるかです。答えは、どうにもなりません。そこで終了です。
マズローの説によるなら、欲求は自己実現に向かうはずです。
しかし、松本氏の承認欲求の先に自己実現はありません。行き止まりです。
つまり、松本氏とった欲求の流れは、本来あるべきものではなく
行先のない、非生産的で、無益なものだったということです。
ここで一つの教訓が見えてきますね。
「欲求」は人間を動かすエネルギー源です。しかしそれは原子力のように、圧倒的なパワーを秘めながら、大勢の人間を滅ぼすほどの危険性も合わせ持ちます。
自分を突き動かしている「欲求」が正しいものか。それは、ゴールに「自己実現」が存在しているかで決まります。もし、それがないとしたら、今たどっている欲求のラインは危険だということですね。
松本人志の自己実現とは何だったのでしょうか。無論、本人に聞かなければわかりませんが、推測はできます。
自分の理想とする芸人の姿を実現する、というのがありそうです。
そしてこの性加害はその理想に至るのに必要だった、というように考えていた可能性もあります。
しかし現代の社会通念からすれば邪悪な行為に過ぎず、その代償は莫大なものになりそうです。金銭面、周囲への迷惑、だけではありません。本来の自己実現を棄損したという点で莫大だということです。
性加害の真偽はまだ、わかりませんし、裁判ともなれば長い尾を引くことになるでしょう。どんなに軽い結果になろうとも大きな躓きであることは確かです。
松本氏が才能あふれる希代のコメディアンであるのは間違いありません。そして30年以上に渡り日本中の視聴者を楽しませてくれました。多くの人にとって他人事だと思えないでしょう。
間違った欲のせいで崖っぷちに立つことになった姿。それはどの人間の中にも存在しているものかもしれません。
欲求は人間を動かすエネルギー源ですが、それが自己実現に向かっているかどうかを見極めることが重要です。自己実現に向かわない欲求は、人間を破滅に導く可能性があります。松本人志の例は、その教訓を私たちに示してくれるのではないでしょうか
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