入社式をきっかけに、新卒入社した会社を2ヶ月で辞めた話
私は新卒入社した会社をわずか2ヶ月で辞めた。
辞めた理由は、休みがほとんどなかったこと、意味を感じない業務を延々とやらされたこと、先輩社員が上司に毎日ボロカス言われていたこと、、、と色々ある。
だけど、一番最初に「あ、この会社無理だな」と思ったのが入社式だった。
就活はそこそこ頑張っていた
就活を始めたのは大学三年生の冬。面接対策やSPIの勉強もそれなりに行った上で、大学四年の夏まで計40社ほどの会社を受けた。
そのうち零細企業から1社内々定をもらっていたが、志望度は高くなかったので色々な会社を受け続けていた。
受けていた会社は主に人材系や教育事業で、規模は大手からベンチャー。
あまりより好みはせず、ひたすら選考に進み、面接を受けていた。
志望度が高かった企業から内々定!だけど・・・
二次面接〜最終面接まで進むも、そこでお祈りされることが多く、少し落ち込んでいた。
その時、名前がそこそこ有名な教育事業を行っている企業の最終面接を受けていた。
最終面接で、企業の執行役員の方がうちの企業をどのぐらい知っているか確かめるよう色々質問を投げてきた。
私はその企業のことを隅々まで調べていたので、迷うことなくしっかりと応えられた。
その受け答えを見て、執行役員の方が問題ないと判断し、その場で内々定が出された。
すでに1社内々定をもらっていた零細企業しか受かっていなかったので、内心すごく嬉しかった。
まだ選考が進んでいる会社が6〜7社ほどあったので、全部結果が出るまで就活は続けようと思っていた。
ただ、その執行役員が「さっきの話だとうちが志望度1位と言っていたから、そのまま内定承諾ってことでいいよね?」と言ってきた。
・・・すっかり忘れていた。とりあえず受かるために、どの会社にも「御社に1番入りたいです」と言ってしまっていた。
確かに今回受かった会社は志望度が高い。企業規模も大きくて、やっている事業や業務内容にも不安な要素はない。
ただ、この場で承諾していいのか。ここで「一度考えて、返事をさせてください」と言ってしまえば怒られるのではないか。内定取り消しになるのではないか。
そう不安がよぎり、その場で私は内定を承諾してしまった。
入社式での会長の一言で涙が出る
内定受諾をしてから入社するまで、内定者アルバイトとして週2〜3ほど内定先で働いていた。
その時は入社前だったからか、とても優しく扱われた。先輩社員が上司に1時間ぶっ通しで詰められていたのは気になったけど。
同期とも仲良くなり、ワクワクした状態で入社式を迎えた。
入社式は、私が所属する会社以外の同グループ会社の同期たちも参加していた。
他グループ会社含め同期100人が集まり、堅苦しい入社式が始まった。
入社式の挨拶で、笑顔が胡散臭い60手前ぐらいのグループ会社代表が出てきた。
挨拶の中身はありきたりな内容だったのでスルーしていたが、最後の最後で私にとって聞きづてならない発言をしてきたのだ。
私が所属するグループ会社をH社と伏せておくが、その会長が「今日から君たちはH(グループ名)人だ!そのことに誇りを持て!」と大声で言ったのだ。
私はそれまでのワクワク感が一気に無くなり、絶望に変わった。
このH人という表現は非常に気持ち悪かった。他の同期たちは何も気にしていなかったのだが、私はその会長から「ここで働いている時は自分を殺さないといけないんだ」というメッセージを受け取った気がした。
これから何十年も自分を殺しながら、この会社の歯車として生きていかなければいけないんだ、と思うと涙が止まらなくなり、周りの同期や先輩社員の方にバレないように泣いていた。
全国で一番激務な支店に配属
入社式が終わった後、毎朝泣きながら同期たちとの新卒研修に向かった。
2週間の新卒研修が終わり、1支店1新卒という形でそれぞれ配属先に向かった。
私が配属先は、社員数は少ないが、都内ということもあり利用者数がかなり多く、絶え間なく顧客対応を行わなければならない支店だった。
内定者アルバイトとして働いたのは違う支店だったので、どんな雰囲気の職場か全く想像つかなかった。
入社式の会長の言葉もあって、今すぐにでも会社を辞めたかったが、もしかしたら忙しいながらもやりがいがある支店なのかもしれないと思い、ほんの少しの期待を持ちながら配属視点に向かった。
疑問しか生まれなかった
配属先のリーダーは女性だった。40ぐらいの顔がきつめ、体の匂いがきつめ(とてもお香の匂いが強い)な人だった。
新卒だからそこまで詰められることはなかったが、電話対応が少しでもおぼつかなかったり、対応が遅れたりするとキツく睨まれた。
副支店長は男性だったが、この人もキツかった。別支店の同期から聞いたが、新人泣かせの鬼として有名だった。
他にも先輩社員がいたが、粛々と自分の仕事をしていて、私には必要以上に話しかけてこなかった。
オフィスと同じ階に教室があり、会社のお客さんや講師が使うために、始業前や授業が終わるたびに掃除をしていた。
一番下っ端なので積極的に掃除をしにいっていたら、上司からは「掃除屋さんじゃないでしょ」と怒られ、掃除の時間を少し控えて営業活動に集中していたら、アルバイトさん(掃除がメイン業務)の人に「掃除もきちんとしてください」と怒られた。
まだそれはいい。私が一番疑問を持ったのがメール業務だった。
メール業務とは、過去に一度資料ダウンロードをした方むけに、授業の無料体験をお知らせするメールを作成し、配信する業務だ。
メールを500件送って1件申し込みが来るかこないかレベルの反応率だが、毎日このメール業務を行なっていた。
それだけでも十分に疑問なのに、それ以上に意味がわからないのが、送信の仕方だった。
Gmailでの配信なのだが、一斉送信がNGだったのだ。
過去にメール配信をしていた社員の方が、BccではなくCCに他のお客様のメールアドレスを入れてしまい、情報が流出して、一人一人のお客様に謝りに行ったことがあるかららしい。
だったらセキュリティ対策ができるメール配信システムを導入したり、いっそ反応率が悪いメルマガ配信をやめて架電業務に集中したりした方がいいのに・・・と生意気ながら思った。
それ以外の業務にも疑問がたくさん残り、その疑問が消化されない状態で、一日12時間も働くのがとてもストレスだった。
でも、なんの疑問を持たずに、10年以上働いている先輩社員がいることの方にもっと絶望した。
気づいたら、会社の窓に足をかけていた
1ヶ月で4キロ痩せた。
仕事のストレスで食欲が一切なくなり、ただ食べないと周りに心配をかけるからという理由で、お昼ご飯は無理やりおにぎり一個食べていた。夜は睡眠を優先したいのでご飯は食べなかった。
そのころの仕事の記憶はあまりない。どう仕事をしていたかあまり思い出せないけど、通勤で電車に乗っている時にどう思っていたか覚えている。
とにかく自分以外の人間・モノが羨ましかった。電車の広告に載っていた石原さとみに、「仕事で笑顔を作れるなんていいな」ととても羨ましく思った。
それぞれ別の苦労を抱えているのかもしれないけど、自分の会社に入っていない人間が心底羨ましく思いながら片道1時間半の通勤をしていた。
入社してもうすぐ2ヶ月目が経つ時、私はオフィス近くの教室の掃除をしていた。
マーカーが切れているとかで先輩社員に詰められたあと、窓から色々な人が行き交っている街中を見た。
平日の昼間から、ショッピングバッグを片手におしゃべりしながら楽しく歩いているマダムたち、カフェのテラス席で優雅にコーヒーを飲んでいる若めの女性。観光している外国人。
外で楽しそうにしている人たちと、建物の5階の埃くさくこじんまりした教室にいる私と。
自然と比較してしまい、気づいたら窓に片足をかけていた。
その時に、このままでは本当に⚪︎ぬかもしれないと思い、翌々日の日曜に退職代行サービスに電話をかけて、次の営業日から休職、そして退職をした。
あの時やめていなかったら
それから約6年が経った。
そこから転職を数回繰り返して、今は4社目の会社でのんびりと仕事をしている。
あの時辞めていなかったらどうなっていたのかと妄想する時が時々ある。
辞めずに数年は働いていたら、転職活動もあまり苦労することはなかっただろうし、ストレス耐性も今よりついていたかもしれない。
ただ、あのまま続けていたら絶対に心身ともに悪影響は出ていただろうし、自分の身体犠牲にしても貢献したい会社だとは到底思えない。
あの頃の行動は間違っていなかったと、時々通知がくるOpenWorkのH社の口コミを見て思うようにしている。
自身の経験をもとに、転職活動系の情報を別ブログで発信しています。気になる方はぜひ参考にしてください!