息子を動かすには
息子は本当にマイペースで人の言うこと(特に父親である私の言うこと)は聞かない。そこで今日は、どうしたら息子を動かすことができるのかについて考えていきたいと思う。
意外だったのが、他のコーチと話していて、「うちは親の言うこと聞かないので、(私から)言ってやってくださいよ」と言われたことだ。そのコーチはすごく優しいうえ、理路整然と指導されるので、伝えたいことがわかりやすく、子どもたちからも指導に定評がある。そんな方が、まさかうちと同じように子どもを動かすことに、悩んでいるとは思いもしなかった。
このことがきっかけで、意外とこの「自分の子どもが言うことを聞かない」という悩みは、どの家庭でもあるのかもしれない、と思うようになった。かといって、他の家と同じだから自分が安心というわけではない。この状況を早く脱する方法を考えていこうと思い、私の中で早速、この問題に対する試行錯誤が始まったのだ。
人を動かす、と聞いてまず私が頭に思い浮かんだのが、世界的にも有名な本である、デール・カーネギーの「人を動かす」だ。(タイトルそのまま!)
その中に「人を動かす三原則」が書かれてる。
カーネギーの「人を動かす」三原則
1.批判や非難をやめる
2.重要感を持たせる(その人が望んでいる自己評価に見合った評価をする)
3.人の立場に身を置く(相手が何を望んでいるのかを知り、そのゴールにたどり着く手段を提供できれば、人は心を動かされ、あなたの望む行動をとる)
簡単にまとめると、「誠意や熱意を持って、相手に寄り添うことで、人の心を動かすことができる」といったところだろうか。
なるほど、これはわかっていても難しい。2の重要感を持たせるために、褒めたり、認めたりするが、息子の場合、反応もまちまちだ。1はなるべく、抑えるように抑えるように、と自分に言い聞かせてはみるものの、一定のレベルを超えてしまうと、私は一気に爆発してしまう。その時点で3を見失っているわけだが、3に関しては単独で考えてみてもまずい。私は、「ゲーム」というカードを引き換えに、いろんな交渉をするが、そもそも私のゴールと息子のゴールが違うケースが多々あり、行き違ってしまうのだ。
次に人を動かす、と聞いて私が思い出したのが、山本五十六氏のこの言葉だ。
「やってみせ 言って聞かせて させてみて 誉めてやらねば 人は動かじ」
なぜこの言葉が出てきたかというと、少年野球時代の監督を思い出したからだ。私が海外で野球の指導をするため、日本を出発しようとするとき、監督が私に連絡を下さり、激励と共にわざわざこの言葉を紙に書いて渡してくれたのだ。私はこの紙をきれいに折りたたみ、スーツケースに入れて、引き締まる思いで日本を旅立ったのを覚えている。
日本とは勝手の違う異国の地で、弱気になりながらも最後まで活動できたのは、この言葉に支えられたからに他ならない。特に現地では、日本人は私一人だったため、日本にいる時とは違い、どうしても一人でいる時間が多くなる。
自分と向き合わざるを得ない時間が多かった分、孤独とさみしさに押しつぶされそうな時こそ、たくさんの言葉によって勇気づけられた。監督からのこの言葉もそのうちのひとつである。自分と向き合う度、この言葉の意味を深く考えさせられていった。そういった意味も込めて、私の中で特別な言葉となっている。そのことを思うと、今でも感謝の気持ちでいっぱいになる。
そのうえで、当時と今とで状況が違うのは、大前提として、現地の人は私の言葉に耳を傾けてくれたことだ。それは言葉の問題もあっただろうし、日本という野球大国(当時はイチロー選手や松坂投手などの活躍でWBCで世界一になった)からやってきた「サムライ」だということで、真剣に私の言うことを聞いてくれていたせいもあるかもしれない。さらに、ヨーロッパ大会や全国大会などで、ありがたいことに結果を出してくれていたのも救いだった。
しかし今はどうだ。まだ、幸いにもギリギリ動けるので、「やってみせ」はできるのだが、そもそも、「見たり」「聞いたり」する姿勢を息子に整えさせられていない。「させて」「褒める」が、息子は「褒める」のいいとこ取りだけしかしない。褒めるとしっかり笑顔で受け止め喜びはするのである。ただし、それだけである。
そして最後に、ロバート・チャルディーニの「影響力の武器」から、
チャルディーニの「影響力の武器」
1.人は借りた恩は返したくなる習性がある
2.周りに流されてしまう傾向がある
3.一度発言したことはやり遂げる
4.魅力的で好意をもっている人の発言は高い価値があると信じてしまう
5.権威を持つ人の発言を信じてしまう
簡単にまとめると、「人には無意識にとってしまう様々な習性がある」といったところだろうか。うーん、どれも微妙である。
1は私の恩が足りないのだろうか。はじめのうちは何度か息子が、コーチや監督に怒られるピンチを事前に救ってきたが、頼られるだけで、恩は返された覚えはない。息子なりに返してきたのだろうか。。。
2は確かに、個人では絶対やらないことも、みんなが動いていれば息子も動く。息子はある意味要領がいいのである。これはみんなでやる環境を提供していくのもいいかもしれない。「前向きな仲間を増やしていく」、これには協力が必要だ。
3は息子には通用しない。人は一貫性を守ろうとする、というのは、普段の仕事の中でもよく聞くため、私も意識して使ったりはする。大人には通用するテクニックも、息子は例外のようで、言ったことを平気で覆す。これでいつも私のカミナリが落ちるのだが。
4、5は、私にその権威がないので困っている。。。
息子はもともとゲーマーで、野球ど素人なので、野球選手にも興味がない。知っている選手は、大谷選手くらいだが、ああなりたい!というあこがれの選手というわけではなく、ニュースでやっているので聞いたことがある(知っている)、というレベルだ。なので、「大谷選手は小さい頃、こんな練習していたみたいだよ」なんて言ってみても、息子には響かないのだ。(大谷選手、本当にすみません)
また、私の言うことは聞かないが、チームの監督の言うことは聞くと思うので、「監督に言ってもらう」、という手もあることにはあるが、いつも監督が近くにいるわけではないし、そもそもそれだと根本解決にはならない。
ここまで3人の名言や名著から、「息子を動かす」ことについて考えてきたが、やはり「ほめる」というのは、私の言葉であっても息子は比較的反応することを再認識できた。ただし、このほめ方には注意が必要で、私はほめ方について重大なミスを犯していた。。。
長くなってしまったので、今回はこのあたりにして、次回は、ほめ方について続きをお話しできればと思う。次回もお楽しみに。