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息子の変化

人間は普段から、みるもの、聞くもの、触れるものに似ていく習性がある、と私の師匠が教えてくれたが、息子も野球に触れる機会が増えたからか、最近では、シャドーで投げるふりをしたり、バットを振るふりをしたりしている。

また、状態は理性に従うとは限らないが、行動には必ず従う、ということについて、以前お話ししたが、行動が積極的になったためか、性格も心なしか明るくなったように私から見て思うようになった。これは親として非常に嬉しいことだ。

実際にこんな調査報告がある。
小学生の子どもを持つ親御さんは、自分たちの子どもには 「何かやってほしい」という願望や、「何かをさせてあげたい」という思いがあるようだ。その中でも「野球」が選ばれているのは、野球という競技そのものの魅力というよりは、チームワーク規律などといった教育的配慮や社会的側面に期待してのことのようだ。

私たちの場合は、上記のような一般的な調査とはちょっと違う。
私自身野球に携わってきて、野球によってたくさんの恩恵も実際に受けてきたにも関わらず、当初息子に野球をやらせるのに消極的だったのは、野球の素晴らしい部分を知っている反面、野球の厳しさも知っているつもりだったからである。私から見てもだらしない息子に、どうしても野球の厳しさに耐えられるだけの精神力があるとは到底思えなかった。

ただし、今では私が間違っていた、と認めざるを得ない。
人は成長するし、変わるということを目の前で証明された。
野球も突き詰めると「教育」であると個人的には思っていて、野球を通じて人間的な成長を促し、彼自身の自尊心を養ってほしいと思っている。
そのような気持ちで、これまで関わってきたつもりだが、実際にはその過程で思うようにいかず、時にはそれを無視して指導してきた部分もなかったといえばうそになる。

そんな中、息子にはいい意味で裏切られた。
野球をはじめて約5か月。私の知らないところで、心の部分で着実に成長していたようだ。

最近チームに新しく入団してくる選手も出てきた。息子にとっていわば後輩が入ってくる。教えてもらう立場から教える立場になれば、また役割に幅ができて、それがまた成長できるチャンスになる。

野球と一口にいっても、このようにいろんな要素が絡み合い、それが結果、社会的役割や教育的要素となり、人間的成長につながる。
このことを目の前の息子を通して感じ取ることができた。改めて、野球の奥深さを知り、自分自身も息子に負けず野球としっかり向き合うと決意した暑い梅雨の日だった。

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