なぜを繰り返しているか
電気を発明したことで、有名なエジソンも、その過程で1万回も失敗しているが、彼はそれを失敗とは考えず、
私は失敗したことがない。
ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。
と言っている。これには我々も大いに学ぶべきことがあるのではないだろうか。失敗の定義づけを変えるだけで、精神的なダメージを軽減するどころか、逆に成長のチャンスにすることもできる。
多くの人にとって、失敗とは、「落ち込む種」となっていることが多いと思う。そうすると、失敗するごとに自分を責めたり、しばらくの間、そのことに大きなエネルギーが割かれたりすると思う。
私自身がまさにそうである。何か嫌なことがあると、そのことで頭がいっぱいになり、負の感情にしばらく支配されてしまう。
だが、一方で失敗を、「改善の気付き」と定義している人がいることを知った。その人たちは、次はどうしたら上手くいくだろう、と自己フィードバックをし、改善点をメモしたり、次に同じケースが来た時にどうすればいいのか、と仮説と検証を淡々と繰り返す。彼らは、改善することに忙しく、落ち込む暇なんてない。そして、次に同じケースが来るのを楽しみに待っているようにさえ見える。
私もほんの数年前から落ち込む自分を変えたくて、彼らと同じように、フィードバックを他人から受けたり、自分からしたりして、「改善」に徹するように意識を変えている最中だ。そして、短い期間だけど、今実践して思うのが、効果てきめんだということである。毎日が挑戦で、試すことが楽しくなっている。仮に、それが上手くいかなくても、それは失敗でなく、試したうえで上手くいかなかったことなので、エジソンのいうところのまさに「うまくいかない方法が見つかった」ということだ。もちろん、落ち込むこともある。それでも、以前のように全部喰らうのではなく、そのダメージも以前に比べれば軽く、回復も早くなった。
ところで、エジソンは幼少期から非常に好奇心が強く、「なぜ」を連発していたことはご存じだろうか。あまりにも「なんで」が多いので、当時の学校の担任から「あなたの脳は腐っている」と言われ、退学を勧められていたようだ。その後実際に退学させられたエジソンは、自分のお母さんから教育を受けたようだが、エジソンは自分のお母さんが学校の先生に、「私がこの子を育てます」といったことが記憶に強く残っていて、それを誇りに生きていたようだ。素敵なお母さんである。
エジソンがたくさん使っていたと言われるこの「なんで」という言葉、実は本質を見抜くため、これまでの常識を疑うための非常に大切な質問だと思っている。
私たちが普段なんの疑いもなく常識だと受け入れていることも、元のもとを辿れば目的が違うこともたくさんあることに気付く。それに気づかせてくれるのに、この「なんで」という言葉は非常に役に立つ。
たとえば、「出社すること」ひとつとってもそうだ。以前は当たり前のように、朝みんなと同じように早く起きて、満員電車に乗って、会社で8時間働く、といった人が多かったと思うが、我々はそこになんの疑いもなく、中には文句を言いながらも受け入れていた人もいる。
それがこのたった、2,3年で通勤も必要なくなった人もいるし、出社自体不要で、自宅で勤務することも可能となった。
そもそも、出社が売上達成・目標達成だとするならば、確かにそこに出社は必要なく、8時間の勤務自体も不要かもしれないし、逆に目的を達成するのに8時間では足りないかもしれない。それでも、我々は8時間だから、という決め事や理由だけで8時間勤務を受け入れていた。
そう考えたときに、本質を掴むために、「なんで」や「そもそも」という質問は、その玉ねぎの皮を剥くための作業かもしれない。指導をしていて思うのが、言われたことを何の疑いもなく、そのまま受け入れる選手が多いということだ。素直というのは非常に素晴らしいが、今度はもう少し踏み込んで、「なんでそうなっているのか」というところまで、腹落ちできるくらいに理解できると、その後のその選手の考え方・行動に深みが出てくるだろう。それをサポートするためにも、指導するこちら側にも責任があると思う。押し付けない指導をするのは当然だが、選手が腹落ちできるよう、わかりやすく伝え、時には意見を交わしていく工夫も必要だと感じた。
こう思えたこと自体、私の親として、コーチとしての「改善」である。
また、明日から「試して、フィードバック」を続けていく。