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悔しさを力に変える

前回は、強いチームというのは勝負の勘所というのをしっかり押さえている、ということについてお伝えした。逆に言えば、勝負の勘所さえ抑えれば、いつも勝つ必要もない

今回は、そのことを体現し、まさに天下をとった歴史的な人物である、徳川家康の、「失敗から学ぶ考え方と行動」について、個人的に大好きなエピソードをご紹介したいと思う。前回の記事はこちら↓


家康は昔、浜松城にいた。
当時、戦国最強といわれていたのが、武田信玄である。信玄は天下取りを目指し、いよいよ最後の戦いに出る。つまり、駿河(静岡)の今川家を倒し、三河を目指し、そして京都に行く、という流れの中で、「三方ヶ原の戦い」で、信玄は浜松城にいる家康と戦うこととなる。

そのときに、家康は軍議をかける。
すると、家臣たちからは、
「殿、籠城(ろうじょう)作戦でいきましょう!
という声が上がった。

籠城とは、城に立てこもることだ。
家臣たちは信玄の軍団は強すぎるので、城から出ずになんとかしのぎましょう、という提案をしたのだ。ちょっと説明を加えると、驚く人もいるかもしれないが、当時の軍隊というのは、農業との兼務であったため、田植えと収穫の時期はいくさができなかったのだ。

つまり、秋の収穫期には、信玄は故郷(山梨)に帰らないといけないので、そこまでは我慢しましょう。そうすれば、信長などから援軍がくるはずです、という作戦で、歴史を知ると実はこの家康の家臣たちの作戦というのはすごく理にかなっていたのだ。

一方、信玄はいくさについては百戦錬磨である。
当時信玄は52歳ということもあり、いろんな経験をしているので、人間の心理も熟知していた。信玄当人は、「家康はまだ若いので、血気盛んである。絶対に城から出てくる」と踏んでいたようだ。

信玄は、「家康がどうしたら、出てくるのか」、を考えた末、ある作戦に出た。信玄はわざと家康の城の前を素通りしたのである。つまり、家康がいるのに、それを無視して通り過ぎようとしたのだ。これに、家康がカンカンに怒ってしまった。

家来たちが、「殿、あれは誘いです!出てはなりますまい」と家康に忠告しても、あとの祭りとなり、家康は怒りに完全に支配され、自分をコントロールできなくなり、「無視されるのは、末裔まで残る私の恥だ」ということで、家来たちが止める中、忠告を聞かず外に飛び出してしまったのだ。

信玄は家康が出てくるのが分かっていたので、後ろの軍と前の軍の配置を逆転していた。つまり、家康が出てきたときに、クルッとひっくり返り、戦闘態勢に入れるようにした。言い換えると、一番後ろが弱いのではなく、一番後ろが一番強いように配置を換えていたのだ。

すると、家康はめちゃめちゃにやられてしまう。一説によると、恐ろしさのあまり、う○こを漏らしたとも言われている。命からがら逃げた家康は、そこで、家来に、
絵師(えし。絵描きのこと)を呼べ!」と命ずる。
家来が、
「絵師ですか?薬師(くずし。医者のこと)ではないのですか?」
と尋ねると、家康は、
「いや、薬師ではない。絵師だ!絵師を呼べ!」
と言って、この無様な醜い己の姿を描け、と命じて、その絵を終生肌身離さず持っていたと言われている。

そして、今後自分の感情任せに行動しない、と感情が高ぶった時にそれを見て、戒めにしたと言われている。

ここから我々が学べることは2つある。一つは、あの家康ですら大きな失敗をしているが、現在でも歴史の教科書に載るくらい偉大な人物であるのは、勝負の勘所を知っているということだ。三方ヶ原の戦いでは大敗を期したが、関ケ原の戦いでは家康は負けられなかった。そして、勝利を収めている。仮に、関ケ原の戦いで家康が負けていたら、400年以上たった現在で、その名を知っている人がこれだけ多くいるのかどうかはわからないはずだ。

そしてもう一つが、人間は習慣の生き物であるが、逆に失敗や悔しさというのはいつか忘れてしまう生き物だ。それを、家康は同じ失敗をしないようにと、自分の弱い部分と向き合い、それを戒めにしていつでも見れるように懐に忍ばせていた、ということだ。

ということで、あなたも何か悔しいことや失敗があれば「紙に書いて」いつでもみれるようにしておく、というのは失敗を繰り返さないために家康から学べることではないだろうか。


試合に負けた後のミーティングで、監督からメンバーに向けて提案があった。「お年玉残っているなら、ノートを買ってください。そして、野球ノートをつけてください。それは必ず将来、君たちの宝物になるから」
子どもたちはみんな真剣に話を聞いていて、「ハイ!」と返事をしていた。

それでも、私は知っている。この中で本当に野球ノートを付ける選手が少ないことを。「誰でもできる。でもやらない」、だからこそ価値があるのだ。何も、「明日フライを完全に捕れるようにしろ」、とは言っていない。野球ノートは付けよう思えば誰でも付けられる。それでも誰でもやらないからこそ、チャンスがある。

早速息子に提案した。
今日のミーティングで監督が提案したことを覚えているか、聞いたところ、息子は覚えていなかった。予想通りだ。そのうえで上手くなりたいということだったので、野球ノートをこれから書いていく気があるか確認したところ、「やる!」、ということだったので、新しいノートを与えた。
そして表紙に、

野球ノート①

と書き、日付と
・今日やったこと
・学んだこと
・次回やること・課題

これらを、3つずつ書くことから始めた。息子の頭の中が覗けて、彼なりに考えていることが分かったので、私もフィードバックしていこうと思った。これから、また親子の挑戦が始まる。

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