立場が人を育てる
息子が野球をはじめて早5か月。その間、春休みやゴールデン・ウィークなどといった大型の休日もあったが、当初の約束通り、今のところ、野球の練習や試合には1日も休んでいない。その甲斐もあってか、人数が少ない時などに、(実力が備わっていないが)練習試合に出場するチャンスをもらえるというラッキーなこともある。
また、先日これもラッキーなことに、Bチーム(5年生以下のチーム)のメンバーに、最後の一人として選ばれた。息子は、「どうせ試合に出れないよ」と言っていたが、それはこちらも百も承知だ。なぜなら、息子より上手い選手は、今回のメンバー外の中にもたくさんいるからだ。おそらく、監督さんから息子に、一つ上のレベルの野球を見て、息子に野球を学んでほしいというメッセージがあったのだと受け止めている。
※ちなみに、私は監督さんに賄賂は渡していないし、そのように選ぶ監督さんでないことは普段の姿勢や態度から十分に理解できる。
とにもかくにも、チャンスは頂いている。そのうえで、息子がそれを活かせるよう私もサポートしたいと思っている。
こんな調子なので、息子にとっても最近野球が楽しいと思えるようになってきたようだ。平日は自分からは私と一緒に積極的に野球の練習をしようとは言わないが、友達と公園で野球をやっていたり、土日は言われなくても早起きしたりして、自分でユニフォームに着替えて、しっかり家を出ている。
息子も4月を迎えて3年生となり、新規で入団してくる選手もちらほら出てきた。そんな中、最近、4年生以下のチームを担当している監督さんから、息子に対して厳しく注意する場面が出てきた。
それは返事や声の大きさに関することだ。
もともと、息子はゲームばかりやる内気な子どもである。返事も蚊の泣いたような声しか出せていない。返事をしているかしていないのか、わからないと、注意や指示が理解されているのかどうか確認できない。最初は私も「(息子の返事が聞こえなくて)相手が無視していると思われるのではないか」というのが怖くて、息子に付いてその都度フォローしていたが、いつからか、私も息子に、「自分でこの状況から脱却しないとだめだよ、チャレンジしてみて」と促していた。
それがとうとう、監督さんから直接指摘をされたのだ。私はこれを聞いた時、「あーあ。(ついに言われたな)」とは思わずに、「これで一段レベルがあがったな」と逆に嬉しく思った。
どうして、と思う人がいるかと思うので、それがどういうことかという前に、「野村再生工場」とも言わしめた、私の大好きな、人材育成のプロであった野村克也監督のことを少しだけご紹介したい。野村監督は、
「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」
という言葉を大切にしていて、実際にたくさんの”人財”を残してきたことは、今のプロ野球界の指導者をみれば、その多くが野村監督の教え子であることからも分かるだろう。
また、野村監督が亡くなった時の、野球界で起こった喪失感といったら、なんと言葉にしたらいいのか表現がないくらい、信じられない出来事だったし、うそであってほしいと誰もが思ったし、その悲しみというのは、私たちにまで広がった。
そんな野村監督が、ヤクルト時代の黄金期にこんな言葉を話していたのを、当時のキャッチャーである古田敦也氏がテレビで言っていたのを、私は鮮明に覚えている。野村監督自身も著書で実際に書いていた。その言葉が、
「三流は無視、二流は称賛、一流は批難」
これは、褒められているうちは、「まだまだ」で、批難されてこそ一人前だということだ。野村監督と同じポジションで、チーム内で一番怒られていたのが、古田選手だったというのは、チーム内だけでなく我々一般の人にも理解されていたが、彼なくして当時のヤクルトがないこともみな知っていた。
当時中学生だった私は、その言葉の意味を捉え、褒められているうちはまだ責任が軽い、責任が取れるようになるためには厳しく叱られてこそだ、と思って当時部活動をやっていた。
ここで、息子の話に戻すと、息子も褒められていたところから少し脱却して、注意レベルまでに成長した。しかも、その内容は野球の技術的なことではなく、返事や声の大きさといった、いわば意識次第で自分で克服できるレベルのことだ。少しずつ新しい選手も入ってきて、見本になるべく監督さんも息子に期待を込めて言ってくれたことだろう。そんな監督さんにも、息子に成長できる機会を作っていただき心から感謝したい。
返事や声の大きさの部分はしっかり克服したうえで、今度は野球の技術的な面でも褒めからの脱却を図っていけるよう、全体練習の後、早速息子と2人で練習をした。