5歳児の自我
昨日、5歳の長男と一緒に、近所の公園に遊びに行った。ボールなどの遊び道具持参で、彼の野球の真似事に付き合ったり、ボールを蹴りっこしたりする、ありふれた他愛のないひとときだった。
ふたりでフリスビーを投げっこしていたときに、小さな事件が起こった。彼が思いっきり投げたフリスビーが、近くで遊んでいた小学生の女の子の頭にスコンと当たってしまったのだ。柔らか素材なので大したことはなかったのだが、それでもちゃんとごめんなさいと言うべき場面。しかし、このとき、息子はビクッと硬直してしまって、「ごめんなさい」のひと言が言えなかった。
このとき、私のなかで教育スイッチが作動した。その場で遊びを中断して、「おねえさんに「ごめんなさい」をいいなさい。」と伝えた。ここから、謎の押し問答が始まる。彼のなかで抗いがたい葛藤が押し寄せてきたようで、身をよじり涙にむせびながら、断固として拒否してきたのだ。
以下、彼がひねり出したクリエイティブな言い訳の数々を列挙すると、
ボールが勝手に飛んだから僕は悪くない。
なにいうか忘れた。思い出せない。
お父さんが代わりに謝って。
お父さんが見ていないあいだに謝ったよ。
謝るくらいなら、このベンチで生活する。
謝るくらいなら、晩ご飯いらない。
眠い、眠い。(といって寝たふりを始める)
いつまでたってもラチがあかないのと、直射日光で暑くて仕方なかったので、家にいったん帰らせて、もう一度冷静に、ひとりになって、なぜごめんなさいのひと言が言えなかったのか、考えさせる時間を取ってみた。しばらく考えて結論が出たというので、聞いてみたところ、
もしごめんなさいといったら、この子はいい子だなと思われて、うちの子にしようと思って、僕のことをゆうかいするかもしれないと思ったから。
あまりの支離滅裂さに呆れるとともに、笑ってしまった。結局、次同じようなことがあったら、うちから出て行ってもらって、鬼さんの子になってもらうからね、と宣告して、指切りげんまんをして、終わりにした。
他愛のない出来事ではありつつ、子どもがこんなにも嘘や出まかせを平気でいうことが新鮮だったのと、ごめんねのたったひと言でこれだけの大騒ぎになることにかるくげんなりともして、親としての自信が揺らぐ一日でもあった。まあ、いまどきは、立派な肩書をもった大人も、まともにごめんなさいを言えなかったりするのだけれども。
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