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とれてきたというかみえてきたというか
子供の頃から、動物が苦手だった。こちらが苦手なのが伝わるのか、よく吠えられたり追いかけられることがあって。だからってのもあるけど。可哀想って思いも強くて。
犬は首輪をつけられて、ひもで繋がれている。自分のペースで歩くことすら許されない。猫なんて外出すらさせてもらえない。
動物園も、虐待にしか思えなかった。故郷から離され、親や兄弟とも離れて、慣れない環境で鎖に繋がれ檻に入れられ、人間に飼われている。とても不自然に思えた。そこには上下関係しかないと思ってた。
動物番組とか動画をみても、人間に飼われて幸せな動物がいるなんて、思いもしなかった。可愛さや鈍臭さを強要され、可哀想、で思考が止まっていた。
でも最近気づいたこと。愛情ってものを知らなかったのはこっちだった。
飼い主と一緒にいて、対等で幸せってことがあるんだね。例えば猫なら、おうちから出れなくて、自分のごはんすら用意できない状況でも、そこにいることが許される関係性もあるんだね。
他にもいろんな種類の動物がいて、それぞれにできることできないこと、居心地の良い環境は違うのか。人に限ってはもっと細分化されて異なるのか。そりゃ気の合う人との出会いは奇跡だな。
私が生きてきた関係性には、根底に自己否定とか恐怖があって、「これするからここにいてもいいよね?」と、全部相手軸の駆け引きをしてきただけだった。
多分私の繊細さとか相手の気分を察する力とかは、赤ちゃんのときから最強だったのかな。母が、赤ちゃんの私と、無理心中をしようとしたところらへんから、もう全てが恐怖だったんだろうな。
びっくりするぐらい、「ないもの」に目がいって、「あるもの」に気づかずに生きてきた。そりゃ被害的な発想になるし、周りへの感謝が足りなくなるわけだ。
自分が難解すぎるけど、、、ちょっとずつ、確実に毎日気づきがある。周りにいてくれる人のことも、思い込みでなく知ろうとすること。
今日もおつかれさま。