装いと共鳴
ファッションって愛おしいなといつも思っている。
少しがんばらなきゃいけない時、自分に寄り添ってくれるような柔らかい色の服を選ぶ。
強い人に見られたい時は、メンズのジャケットを羽織り、ゴツゴツしたヴィンテージのネックレスを付ける。
とにかく楽に、ラフに過ごしたい時、スウェットを着る。
そうやって、私はいつも自分を守っているし、ファッションに支えられている。
昨日、バイト先に最近買った帽子を被って行った。
白い毛糸で編まれたそれには、ところどころボタンが付いている。少し垂れ下がった毛糸も愛おしい。
私のバイト先は子供たちがたくさんいて、アクティブに動き回る仕事だから、汚れやすいし見た目に気を配る余裕が無い時もある。
けれど昨日は久しぶりの出勤で、少しがんばらないといけなかった。
だからその帽子を被って行った。
坂道を登り、少しうつむいて歩く。学校に着く直前のあの感じとよく似た心拍数が襲ってきた。でも、今日の私にはこれがある。この帽子に守られていると思いながらドアを開けた。
その瞬間、子供が寄ってきて「これなにー?かわいい!」と言った。一気に緊張が解けた。
荷物を置いて手を洗うと、再びその子が寄ってきて「被りたい」と。
髪を整え、帽子を被せると「かわいい」と言っていた。子供だけじゃなくて大人も寄ってきて「かわいい、どこで買ったの?」と聞いてくれた。
その出来事が本当に嬉しくて、ファッションの本質ってやっぱりこれだよなと思った。本当に愛おしいなと。
「この服かわいいね」とか「その鞄どこで買ったの?」とか「髪切ったんだ、いいね!」とか。
私はそういう何気ない会話が本当に好きだ。
ファッションついて、装いについての会話。
身につけているものが会話の糸口になるって素敵だ。少しのきっかけで感情の温度が変わる。その流れが美しいと思う。
そういえばもうひとつ、装いがきっかけで起こった面白い出来事があった。
11月に鴨川デルタで かいかいのひ というイベントを行った。
お面を被って踊ったり、絵を描いたり。いろいろな人・獣・精霊たちが集い、交流をする。
友達が企画してくれて参加したイベントで、次回は春頃を予定している。(詳しいことはまた改めて)
そこでも私は装いの素晴らしさ、面白さを体験した。
人種も言語も年齢もバラバラな人たちが集まって、お面やライブペイントをきっかけに会話が生まれていた。
「このお面すごく好き」
「被ってみたい」
そして気づけば皆の身体が勝手に踊り出していた。
さっき会ったばかりの人たちで、輪になってくるくるまわっていた。
音楽が鳴り響き、風が吹く。
顔も見えないのに、名前も知らないのに裸足になって舞い踊っていた。
周りの目なんて気にせずに、魂の奥底からあたたかい血が騒いでいるのが分かった。
お面って顔を隠すものだし、コーディネートの装飾としては少し重たい。
けれど、私たちは確かに軽やかだった。
装うものが大きくて、隠す部分が増えたのにも関わらず、素が、本当が溢れていた。
それが本当に愛おしくて面白いなと思う。
何かを身につけることは体を隠すことだし、守ることだ。けれど同時に本当を見せるものでもある。素が垣間見える瞬間がある。
きっかけを、支えを与えてくれて、隠しているのに本当を見ることができる。ファッションってすごく偉大だ。装いってなんて素敵なんだろう。