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”ないものはない”を体現する研修、SHIMA-NAGASHI

島根県本土から約60km、フェリーで約3時間半の場所に位置する人口2300人の離島・海士町(あまちょう)。「ないものはない」を町のスローガンに掲げるように、コンビニもスーパーもチェーン店もない。そんな小さな離島に、島の人口より大きな社員数を抱えるNTT、スターバックス、トヨタ自動車、三菱重工、ロート製薬など、約80社、200名以上のビジネスパーソンがやって来るリーダーシッププログラム。それがSHIMA-NAGASHIです。

「ないものはない」という海士町が大切にしているこの言葉を体現するSHIMA-NAGASHIでは、どんなことが起きているのか。人材育成事業担当の三重野の視点から紐解いていこうと思います!

SHIMA-NAGASHIとは何か?
次世代リーダー・経営者候補を対象に、”周囲の心を動かすリーダーシップ”を育むことを目的としたプログラムです。
2泊3日で海士町に滞在し、海士の人や文化、歴史、自然を使ったコンテンツを体験し「会社や社会を通じて、自分はどんな未来をつくりたいのか」を、自身の腹落ちした言葉で語ります。

▼詳しくはこちら
https://kazetotuchito.jp/shima-nagashi/

ないものはないとは何か

「ないものはない」は、2011年に海士町役場が、町のスローガンとして掲げた言葉です。この言葉にはふたつの意味があります。ひとつは、便利なモノはなくてもいいということ。「ないものはないんだ!」という、潔い意味でもあります。もうひとつは、ないというものはない、つまり大事なことはすべてここにあるということ。

海士町は都会のような便利さもなければ、欲しいものがすぐに手に入る環境でもありません。では暮らしにくいのかと言うと全くそうではない。むしろ、米や野菜を作ったり、海産物が豊かに採れたり、広大な自然があったりと、島民は海士にあるものを活かし、それを楽しみながら暮らしています。

そんな「ないものはない」を暮らしの中で感じたエピソードがあります。

ある日、島で大量のイワシが捕れたことがありました。ちょうど集落の集まりがあり、公民館に集まっていると、誰かがイワシを持ってきて「BBQをしよう!」と言い始めました。そうすると、誰かが家の庭からネギを持ってきたり、炭やBBQセットを準備し始めたり、道行く車を止めて一緒に食べようと声をかけたり…。数十分で沢山の人が集まり、他愛もない話をしながら、楽しい時間を過ごせました。決して豪華なBBQではないかもしれませんが、なんだか心が満たされ、とても豊かだと感じました。

イワシなんて自分の家で食べてしまえばいいものを、沢山あるからとお裾分けして、みんなで時間を楽しもうとする暮らし方。なんて生きるのがうまい人たちなんだろうと思ったのです。

ないものを探せばないものだらけのこの島で、ないことに卑屈になるのではなく、あるものをどう活かして楽しみながら生きていくか。そんな生きるための根源的な知恵が、この「ないものはない」に込められているのだと思います。

海士町にあるモノや人を活かした研修プログラム

「ないものはない」が風土として根付いているこの島で行っている研修が、SHIMA-NAGASHIです。このプログラムを実施する中で、海士町の日常が、都会のビジネスパーソンにとっては非日常で価値観の揺らぐ体験になることがわかってきました。

自分の身体ひとつで様々な体験ができる離島・海士町。島で行われている、夏場の海への飛び込み、手で船を漕ぐカンコ船、椎茸の原木運び、山に入って筍を掘ることなどもSHIMA-NAGASHIのコンテンツです。

中でも、特に学びが多いものが、つなひきです。海士町の活気を生み出しているといっても過言ではないつなひき大会。38年前から毎年続いており、今や島の文化と言えるほど、島民であれば誰もがそれぞれの思い出を語れます。

SHIMA-NAGASHIの監修者である早稲田大学ビジネススクール教授・入山章栄さんは「この体験だけでも本を1冊書ける!」と仰るほど、綱をひくというシンプルな行為の中に、それだけに留まらない体験が生まれています。例えば、つなひきではひとりの手の緩みやふらつきで、チーム全体が崩れてしまいます。大きな組織では、少し手を抜いても影響は出ないかもしれませんが、つなひきはそうではありません。そんな状況を体験し、組織において「究極の自責になれるチームとは一体何なのか?」と問う参加者もいました。

また、海士町で暮らしている島民との対話もコンテンツのひとつです。例えば、飲食店を営む地元の大将から、海士町役場の職員、漁師、商店のおばちゃん、親元を離れ3年間移住している隠岐島前高校生まで…。島に住んでいる人はみな何かしらの想いを持って暮らしています。彼ら彼女らの言葉に触れることが大きな刺激となり、参加者が自分の中にある想いを鑑みるきっかけになります。

問われることで、すでにあるものに気づく

参加者は2泊3日を通して、自分や自組織にあるものに気づいていきます。では、自分にあるものに気づくとはどういうことか。

ある参加者が高校生と「なぜ自分はこの会社で働き続けているのか」をテーマに対話をしていたときのことです。英語教育のスクールマネージャーをしていたその参加者は「英語が好きだから今の仕事をやっている」という話を高校生にしたところ、「そんなに英語が好きなら、なんでずっと英語を使える通訳者にならなかったんですか?」と聞かれたそうです。

その言葉を投げられ、すぐに応えられなかった自身を振り返った時、これまで英語にこだわっていると思っていたが、実は英語ではなく、子どもたちが英語を話せるようになった瞬間に彼らの心が動く、まさにその瞬間を作りたかったからこの会社にいたのだと気づいたと言います。

こうして問われることによって、参加者の中にすでにあった想いが徐々に言葉になってきます。講師から教えられるわけではなく、言葉にすることで自分の言葉に自分で気づいていく。体験から自身で学んでいく。これが、SHIMA-NAGASHIは教えない研修だと言われる所以です。

教えない研修での私たちの役割とは?

研修を実施する側として、教えないことは時に難しさを感じます。参加者に良い時間を届けたい、研修の効果を実感してほしい…そんな気持ちから「このコンテンツからはこんな気づきや学びを得てください」と言いたくなってしまう時があります。

そんな時に立ち返る言葉が「ないものはない」です。参加者には何かしら感じていることや思っていることが必ずある。それは運営している私たちが想定通りに計画できるものではなく、むしろ想定を超えた学びや気づきが常にある。教える・教えられるという関係性を超えて、共に学び合うという姿勢こそ、海士町が、そして風と土とが大切にしている「ないものはない」という言葉ではないか。そんな風に思います。参加者一人ひとりに背を向けずに向き合うこと。SHIMA-NAGASHIという教えない研修の中で私たちが持っている役割は、相手を信じること。そこに尽きるのだと思います。

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■風と土とはどんな会社?


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