(24) 八つぁん ー 患い
えぇ~、一席お付き合いの程よろしくお願い致します。
私の住む町内でね、先だって日曜日に町内を清掃しようっていう企み・・・いや試みがありましてね、久しぶりに出たんですよ。必ずいるでしょ?町内会長でもないのに仕切らないと気が済まない人がね。それやらないと生きて行かれないような人がいるもんですよね。他にもいますよ、頼りになる大家さんとか隠居さんがね。そんな人がいてくれて町内ってのは丸く治まるもんなんですけどね・・・。
「隠居さ~ん、隠居さん」
「何だい八つぁんかい。朝っぱらから騒がしいねぇ。どうしたって言うんだい」
「あっしは今てぇへん(大変)困ってるんですよ。だからちょいと隠居さんに教えて貰いてぇって思ってやって来たんですがね」
「そうだったのかい。まぁまぁ、そんな所にいないでお上がりよ。で、何があったんだい」
「へぇ、熊のやつがね、ここんとこ様子が変なんですよ。まずね、昼飯食わねぇし、目はうつろだしね、どうやらよく眠れねぇらしいんですよ。この間もね、あいつもでぇく(大工)でしょ?道具箱忘れるなんてことねぇやつなんですけどね、それを忘れたんでさぁ。ため息ついちゃったりなんかして・・・。あっしも何してやればいいのかって棟梁に言ってみたんですがね、”八、おめぇはそのまんまで熊の役に立ってやれる”って言うんすよ。あっしみてぇなもんが役に立てるわけねぇですし、それで困っちまって隠居さんから教わろうって思ったわけなんで」
「そうかい、そうだったのかい。棟梁もなかなかのお人だねぇ。お前さんのそんなところを良く見ておいでだ。なるほどねぇ」
「あっしのそんなところってどんなところです?」
「いやいや、熊さんは患ってるんですよ。だから、お前さんの持ち前の親心って言うのかねぇ、いや母心って言った方が良いかも知れないねぇ。それで熊さんが心に抱えた患いを助けてやれってことですよ」
「隠居さん、勘弁してくださいよ。あっしはでぇく(大工)やって、かかあ抱えて精一杯なんですぜ。ガキはいねぇからその分まだいいんですけどね」
「いやいや八つぁん、私はね、お前さんが長屋の一人ひとりの子供たちにいつも声を掛けて、子供たちの言うこと全部じっと聞いてくれてることを知ってるよ。あの角のお清さんとこの隆坊だったかね?お前さんのことお父つぁんぐらいに思ってるよ。長屋のみんなにしても、お前さんの何でも引き受けてくれて頼りになって相談事にも嫌な顔ひとつせず聞いてくれるところなんか感謝してますよ。立派なもんですよ」
「いやぁ、それと熊のこたぁ月とすっぽんぐれぇ違いますよ」
「熊さんは自分の気持ちを抱え込むたちなのかねぇ?」
「そうそう、それですよ。抱え込むぐれぇのことじゃねぇんですよ。酒は呑まねぇ、博打もやらねぇ、それでいて喋りもしねぇんですよ。あいつとは長げぇ付き合いだけど笑うなんて見たことねぇんですよ。いいやつなんですよ。あっしなんざ熊の足元にも及ばねぇから、とてもとてもそんな大役出来ませんよ」
「お前さんは自分のことを知らないねぇ・・・。め組の頭取、知ってるだろう?」
「随分と世話になってますからもちろん知ってますよ。頭取がどうかしたんですかい?」
「いや頭取がね、私にいつも言うんですよ。”八のやつをめ組の纏持ちにしたい”って。”何しろ人の世話を厭わないし、漢気があって町内でも慕われてるから”とね」
「鯔背な火消しですかい?あっしのようなもんにはとても無理な注文ですぜ」
「いやいや、八つぁん。お前さんはねぇ、人に口出ししないだろ?そこがいいんだよ。人の言うことを黙って聞いて意見しないだろ?それが何よりなんだよ。今の熊さんにはそれが一番なんですよ。熊さんが溜め込んでいるものを吐き出させてやりたいんだよ。どうだい、八つぁん」
「じゃあ何ですかい?あっしは馬鹿だから人様に何か言えた義理じゃねぇってんで、いつも口出ししねぇで黙ってるだけなんですがね、熊にもそれでいいってことですかい?」
「そうだよ、それが良いんだよ。アドラー博士も言ってるじゃないかね。”課題の分離”ってのをさ」
「何です?そのアドラー博士ってのは。そんなの今、使っていいんですかい?それってずっと後の時代の話ですぜ。それに今”古典落語”やってんですよ」
「いいんだよ、古典落語”風”なだけなんだから」
「それにしてもアドラーはねぇですよ。それに”課題の分離”って何です、それ?」
「こんなのは古典落語の振りしてるだけですよ。単なる落語”風”、何言ったって叱られやしませんよ。”課題の分離”ってのはね、その人の課題に他人が指図したりしないで、その人の課題はその人が決めるものだ、と言うことですよ」
「その”課題の分離”ってやつが、あっしは出来てるってわけですかい?あっしは人様に何か言えるだけの頭がないだけですけどね」
「それだけじゃないよ八つぁん。とにかくお前さんは人の辛さや痛みをわかってやって、駕籠かきのように人の心の重荷の片棒を担いでやれるんだよ」
「そんなんで熊は助かるってわけですかい?」
「そうだよ。お前さんの”母心”が活きるんじゃないかねぇ」
「あっしにそんなもんあるんですかねぇ・・・」
「あるよ!だから棟梁がお前さんを見込んでおっしゃったんだよ」
「へぇ・・・そんなもんですかねぇ・・・」
「私がね、清水の舞台から飛び降りたつもりでお金を出してあげますから、熊さん連れて浅草寺の門前の蕎麦屋に行って蕎麦でも食べて、そうだねぇ天ぷらでも付けるといいね。食べながらゆっくり話を聞いてさ、その後は熊さんの笑顔が見たいからね、寄席にでも行ってだ、大いに笑って来てはくれないかね?どうだい、八つぁん」
「何大げさなこと言ってんですか。隠居さんぐれぇの人が別とら清水の舞台から飛び降りなくたって、蕎麦と寄席行くぐれぇの金は何てことねぇはずですぜ」
「生意気なこと言うねぇ」
「いや、隠居さん、ありがてぇことです。熊はいいやつですから、あっしで出来ることがあるなら喜んでやらせて貰いやすよ。それに隠居さんに教えて貰って良かったですよ。あっし一人の考えでは何も出来やしねぇって思ってたから、ありがてぇです。隠居さんに教わったように、今日は二人で早く上がって蕎麦屋と寄席に熊のやつ連れて行きやす。隠居さん、ありがとうございました」
「いいんだよ、八つぁん。私はね、長屋のみんなの親だと思っているからね。患っているならみんなで助け合うのが人情ってものだからね」
「隠居さん、ありがてぇです」
「いいんだよ、仕事早めに上がって楽しんでおいで。壱分渡しておくよ」
「ありがとうございます。熊、喜びますよ。あっし、ちょっと一杯やってもいいですかね?」
「いいよいいよ。頼みますよ」
「隠居さん、一つだけいいですか?」
「何だい何だい、人差し指立てて。”相棒”の右京さんみたいじゃないか」
「よして下さいよ隠居さん!アドラー博士だの右京さんだのダメですよ!ところでこの噺もう終わりそうですけど・・・”オチ”が見当たらねぇんですけど本当にこんなんで大丈夫なんですかねぇ・・・」
「馬鹿だね、何言ってるんだい。この古典の振りした落語”風”に”オチ”も何もあったもんじゃないよ」
「いいんですかい?こんなんじゃ世間が黙っちゃいませんよ」
「何でもありの落語”風”だよ」
「へい、わかりやした!行ってめぇりやす!」
「はいよ、行っといで。熊さんを頼みますよ」
「そう言って貰ったけど、困ったねぇ・・・。あっしで出来るもんかねぇ・・・。さすがに熊だけに熊った(困った)熊った(困った)」