個展の開催日が近づくと、亜紀は決まって落ち着かなくなるのだった。これといって忙しいわけでもないのだが、何か特別な予感でもするのだろうか、胸が弾んでそわそわし始めるのであった。個展となると、開催中はもちろんのこと、一週間ほど前からギャラリーはいつもと一変した雰囲気になるのは
確かであった。それはどちらかというと、絵画の時よりも造形の時に一層大きな変化があって、彫刻、オブジェ、陶器などの個展となると、壁面はもちろんのことフロアー全体が作品と一体化し、一つの創作空間となる。亜紀は、その個展開催中の、まるで自分までがその作品の一部となったような独特の雰囲気が好きだった。
画廊と言えば、都心というのに相場は決まっているのだが、亜紀が勤める画廊「楪」は、三鷹の井の頭公園に面してあった。これといった理由などないのだが、オーナーである宮木冴子の、武蔵野の面影が残る場所で、と、いうのが願いであったらしい。井の頭公園という小さな杜に呼応するかに造られたのか、画廊は純和風の建物ではあったが、窓が多いのを除けばこれと言った特徴はなかった。ただ、竹で編んだ門扉を開けて数メートルのアプローチを行くと、木彫りの小さな案内板があった。そこには、画廊「楪」とあり、開館・朝十時より日没まで、とあった。初めて訪れる者は一様に驚くだろうが、内に入ってみるとその意図に納得する様であった。広いホールには一切の照明がないのである。並べられた大切な作品を、人工的な光で鑑賞して欲しくない、という冴子の思いである。閉館は日没まで、というのがよく理解出来る。多めに造られた窓は、鑑賞に十分な光を採り入れ、作品を光によって傷つけてしまわない工夫も随所になされていた。窓から差し込む陽は、時刻や季節によって時にやわらかく、時に力強く多彩な光のオブジェを提供してくれるのであった。亜紀は、そんな「楪」の持つ一種微睡むような雰囲気がとても好きだった。
美濃焼の加山作造展は、毎年決まってこの時期に開かれる。昨年から、この個展だけはプロデュース一切が亜紀に任されていた。テーマの決定、案内状の作成、作品の搬入、ディスプレイ等、加山自身も亜紀のセンスを買っているらしく、ひと言も注文することなく任せていた。今年の加山作品展に関しては、亜紀の示した「鳥になれ」というテーマで、加山は一年、作品を造ることを承諾してくれる程であった。そんなこともあって、亜紀はこの一年何度となく加山の工房へ足を運んだ。作品の数と搬入についての打ち合わせのために、加山の工房を訪れた後、亜紀に宛てて加山から一通の手紙が届いた。
作造からの手紙を読み終えると亜紀は、コツコツとヒールの音を立てながら、ゆっくりと画廊をひと回りした。
「鳥になれ、そのテーマは私自身へのものなのに・・・誰にとってもそうなのよね。みんな鳥になれたらいいのに・・・ね」
西側の窓から、少し長めに弱まった陽が入り込んで、やや茜色に窓際を染めていた。亜紀は、薄い茜色に染まったレースのカーテンの際で、一瞬その色が鮮やかさを増すのを実感していた。