存在からにじみ出る愛
朝晩は、随分涼しくなりましたね。
今朝ほどは、朝の家事で触れる水のひんやりとした冷たさが身に沁みました、風の城☆かおるです。
秋が早い今年は、ゆく夏の背中を惜しむ間もないほどですが、blogにはこの夏の思い出をつづってみました。
以下、blogからご紹介させていただきますね。
さだまさしさん復興ライブから
この夏のもっとも印象的な出会いのひとつは、さだまさしさんという存在と出会えたことです。
(その出会いについては、前々回の記事に綴りました。)
日曜日の昼下がり、hshimaが再生していた動画をのぞき込んでみると、そこには被災地で歌うさださんの姿がありました。
心に染み入るのは歌だけではなく、そのトークにもすっかり引き込まれて、笑いながらも泣けてきます。
さださんという存在からにじみ出る愛が、歌となり話となり、人々の心を潤していくのだなと思いました。
とりわけ、動画の終わりの方41分くらいのところから、最後の曲「いのちの理由」の前に、さださんが話していたことが心に深く響きました。
悲しみのどん底で喜びの種は芽吹いている
「悲しみの海の向こうから喜びが満ちてくる」という表現のあるこの歌は、被災地では絶対に歌えないと思っていたというさださん。
ところが、被災地の方からこの曲のリクエストをもらって歌ってみたら、一番喜んでくれた、と。
津波であんなにひどい目にあったのに、海を恨んでいない。こんなにひどい目にあったのに、恨んでいない。これが愛なんだと、被災地のみなさんから教わった。
喜びの絶頂に悲しみの種はまかれ、悲しみのどん底で喜びの種は芽吹いているから。それを信じて、生き延びた理由について考えていってほしい。
という旨のことをお話されていました。
喜びの絶頂に悲しみの種はまかれ、悲しみのどん底で喜びの種は芽吹いている。
この言葉を聞いた時、自然の理を示した太極図そのものだなと思いました。
レイキ的に言うのなら
自分がしあわせな時こそ、人が生きていくからこそ生まれる痛みについて考えてみることで、少しでもやさしくあれるような氣がします。
そのために、歌や物語はあるのでしょう。
レイキ的に言うのならば、そうした痛みに耳をすませていくことが手当てであり、ヒビキに耳を澄ませていくということなのだと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました💛
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