みはるはナニヲすべきか?-メンバー広報誌七転八倒物語-
皆様、台風19号の被害は大丈夫でしたか?
あちこちの川が氾濫して。
堤防の決壊も多くて。
浸水被害のニュースが間断なく流れてきます。
全国各地で猛威を奮ったこの天災から、一日も早い復興がなされることを祈って。
これからの被災地のことを思うと、悲しく憂鬱な気持ちも有りますが、毎日note、頑張って更新します!
みはるは数年前に買った非常袋を
今回初めて、フル稼働させました。
停電も有りましたので、非常用のランタンとか有り難かったです。
みはるが、沢山有る非常袋の中でコレを選んだ理由は、この非常袋、3.11で被災された方達が自身の体験から必要なモノを考え選び作られたモノだったからです。
こういうものが必要な事態に遭わずに済むのが一番なのですが、この非常袋が有るのと無いのとでは大違いだなーとつくづく思いました。
-災害は忘れた頃にやって来る-
台風15号の被害の爪痕がまだまだ残るなかでの19号でしたので、全然忘れた頃ではないんですけれど、多くの皆さん(みはるも含め)に危機管理意識が高まったことはとても良いことだし、大切なことだなーと実感致しました。
o( ̄ー ̄)○☆
それでは、今日もやっぱりあすぴれんとのお話です。(毎度、すみません 笑)
あすぴれんとには“リーダー”若しくは、それに匹敵する役目が幾つか有ります。
日頃はリーダーと言えば、NPOでも(一社)でも“副理事長”で、地活においては“施設長”の〈肩書きモンスター(笑)〉菊地快さんが真っ先に思い浮かびますが、それは置いておいて…。(笑)
あすぴれんとではメンバーがブログをやっています。(=あすぴれんとメンバーブログ“ 明日葉”で検索してね)このプログラムは菊地リーダーが管理人となり、その下にメンバー数名が“副管理人”として存在し、その役割を担ってくれています。
毎月一度のプログラムですが、円滑に更新され、記事もさまざまとバラエティーにとんでいます。はっきり言って楽しいです。
このプログラムがこれまでずっと続いているのは、菊地管理人と副管理人として頑張ってくれているメンバーのお陰。
副管理人は大切な要なんです。正しくリーダー的存在。
いつもお役目お疲れ様!
それから委員会活動。
これはあすぴれんとのメンバーが何れは全員何かの委員会に所属出来るように!との目標を掲げ、みんなで考えた“委員会”の仕事をするというもの。
それぞれの委員会に委員長がおり、議事録等も作成しています。
実はこんな風に偉そうに書いていますが、みはる、このプログラムの日は病院の日に当たることが多く、絶望的に参加出来ていません。(みんな、ごめんね)
でも、まぁ、サクッと説明すると、あすぴれんとに来てくれる新しいメンバーも気負わずに委員会活動が出来るように!何より、みんなが声を掛け合って新旧メンバーそれぞれが仲良くやっていけるように!との思いで作られた
“みんな仲間隊”などユニークなネーミングの下に活動をしています。
なので、あすぴれんとに来てくれたその日から、貴方も“みんな仲間隊”!
是非、来てね♪
そして、お写真を見て頂けるとお判りになると思うのですが、“メンバー広報誌”。
↑
コレ。(メンバー広報誌=Let´s Biginning~羽ばたこう~)
このプログラム、みはるともう一名のメンバーがリーダーです。(焦っ!)
プログラムの歴史はもう本当に長くて、創刊号は2016年6月発刊。
当時はひと月に2回広報誌の時間が有って、第一回目のメンバー広報誌はこれより更に遡ること半年前。2016年1月から始まりました。
実は、今だから話せることなんですが、みはる、大いに勘違いしたんです。
あすぴれんとでは毎月、翌月のプログラムと共に月刊の新聞が発刊されています。
日頃はスタッフさんが作成をしているのですが、2015年の夏にメンバーのみで記事を書いたものが発刊されました。
この時みはるは酷い“夏バテ”の症状に苦しんでいて、記事を書くことが出来なかったんです。
恐らく2週間振り位にあすぴれんとに行ったら、“あすぴれんと新聞・メンバー編”が発刊されていて、非常に悔しかった。
(あーうぅー。みはるも記事を書きたかった!)
なので、その翌年に誕生した“メンバー広報誌を作ろう!”というプログラムは、てっきりこの“あすぴれんと新聞・メンバー版”を作るものだと思っていました。
もう、嬉々として事務所に向かったのをハッキリと覚えています。
所が、所が…。
プログラムが始まった途端、荒井理事長から渡された“プログラムのルール”を読み、真っ青になりました。
もう、顔から血の気が引いていくのをまざまざと感じました。
瞬間的に
(えっ?!ヤダ。無理。これって、ピアじゃん!)
ピアとは“ピアサポーター”のこと。
みはるにはどう考えても、このような壮大な試みに挑むのは時期尚早に思えましたし、力量という観点から考えても、難易度が高すぎる!と抵抗感を覚えたんです。
でも、やると決めたらやり抜くのが理事長流。
(あぁ。みはるの考えの短慮なことよ…。)
目の前に突如示された“課題”が大き過ぎて、果てなさ過ぎて。
泣きたいのを堪えながら、荒井理事長の
「みはるさん、リーダーどうですか?」
の問いに、頭をグルグルとフル回転させながら
「やってみます」
と答えたのを覚えています。
それからは“茨の道”。
なにしろ〈広報誌を作る〉といった以外にはなんにも決められていないんです。
目の前に広がる荒れ果てた土地。
取り敢えず、コレあげるから好きにしてねー!
と言われたようなモノ(だと、解釈。笑)
どーすりゃ良いんだ?!
ここから嘗てのみはるの経験を引っ張り出す作業が始まりました。
曰く、“学級委員”として議事進行を行っていたときのように。
あれこれとみんなに提案したり、採決を取ったり。
思えば、広報誌のタイトルから決めて行ったのでした。
でも、当時を振り返るとめちゃくちゃ下手くそ。
ひとりで、なんとかしなきゃ!なんとかしなきゃ!って前のめりになって、結果、全然話し合いが上手く回転しない。
“独りよがり”もいいところでした。
やればやるほどに、自己嫌悪に陥り、リーダーという役目が重くなり、苦しくなり…。
本当に、“なんでみはるがこんな役目をやらなきゃいけないんだ!”って誰にぶつけていいのかワカラナイ怒りを抱えていました。
今にして思えば、周りのみんなのことや自分のことを客観視出来ていなかったのだと思います。
“なんでもひとりで頑張る”
“大きな決断も小さな決断も、自己責任の名の下に、自分だけで解決する”
これがみはるの生き方で、それ以外の方法を全く知らなかった。
つまり、みんなと一緒にやって、駄目な時にはみんなで悩んで。
この
“一緒に”
が全然出来ていなかった。
リーダーという立場上、“責任”は常に付きまといます。
それでも、プログラムの名の通り
“メンバー(みんなで)作る広報誌”
この理解がかなり遅く、その分だけ苦しむ時間が長かった訳です。
当時は(今も、ですけど)プログラムの前夜は緊張で眠れなくなるし、お昼休みには頓服薬が欠かせないし。(プログラムは午後)
逃げ出したい自分と必死に闘っていました。
それが、徐々に、プログラムに集まってくれるメンバーと上手に息を合わせられるようになって行ったんです。
なにが変わったんだろー?
みはるは今回このテーマを扱おう!と決めてから暫し考え続けました。
そこには圧倒的に
みんなの存在
が有りました。
独りよがりで突っ走ってきたみはるが、少しずつみんなの“力”を信じられるようになり、また、みんなも、広報誌というものの性格を理解して、そして一番は“楽しくやろう!良いものを作ろう!”という意識を高く持てるようになってきたことだろうな、と理解しました。
何故、みはるが、また、みんなが変わって行けたのか?
それは、もう、やり続けてきた。
コレに他ならない。
2号目では、メンバー同士の対談を記事にしたんですけれど、文字起こしが爆裂キツかった。
アイデアに煮詰まった時は、みんな厳しい顔をしながら、それでも必死に考えた。
どんな時でも投げ出さず、みんなで頑張ってきた。
その時間の積み重ねが自然と良い“チームワーク”を生み、ここまで来られたのだと思うんです。
最近ではパソコンに長けたボランティアさんのお力もお借りしています。
いつもパソコン作業のときには、絶対的な力を発揮してくれるメンバーが居るんですけれど、ついついそのメンバー任せになってしまう。
所が、その、パソコンなら任せてよ!のメンバーが自らボランティアさんにアドバイスを求めていた。
これはホントに良いことだなぁ…と思いながら、その光景を見つめていました。
また出来上がる度に“振り返り”をしているのですが
「今回、いつもより早く出来たよねー」
とか
「いつも同じひとばかりがパソコンをやるんじゃなくて、あんまり得意じゃないひとも(パソコンを)出来たら良いと思う」
など、前向きな意見も聞かれるようになって来ました。
いいぞ!いいぞ!
リーダーとしても、形だけの“振り返り”ではなく、みんなが出してくれた貴重な意見を踏まえる形で、新しい“号”に取り掛かるその呼び水になることが出来るようになりました。(ちょっと、遅い 笑)
今、広報誌は、初期の何もかもが手探りだった時期を経て、少しずつ変革の時を迎えているように思います。
今までは、なんとなくその場にいるだけの“傍観者”的な立場だったメンバーが積極的に意見を出してくれるようになったこと。
全員がプログラムそのものを楽しめるようになってきたこと。
ずっと眉値を寄せて、気難しい顔付きで取り組んでいた筈の広報誌のなのに、最近では“笑い声”が飛び交う程に余裕を持てるようになってきたこと。
そして、やっぱり真剣そのもの!!
ココ、我ながらかっこいいと思っています。
あぁ、みはるはみんなを信じて、ファシリテーター的に議事を進行したり、沢山の意見を要約したり、上手く方向性が定まらない時に、“こんなの、どう?”ってアイデアを投げる役目に徹すれば良いんだ…そんな意識を持てるようになりました。
正直、今でも“リーダー”の立場は重くて、ひと月のうちで最も緊張する一日ですけれど、“ひとを信じる為の練習の場”と捉えて、緊張に打ち勝てるように努力しています。
もう、ずーっとずーっと前。
リーダーとして上手く出来ないことに悩み、荒井理事長に相談をしたことが有りました。
「どんなモノであっても、どんな出来であっても、この先も広報誌は続いていて行くと思うんです。100号、200号と」
その言葉を聞いたとき、なんて壮大で先の長い話なんだろう…と目眩を覚えました。
流石に100号目までみはるがリーダーということはないでしょうけれど
初めのほんの数年間、みはるともう一人のメンバーがリーダーをやっていたあの時期に
“広報誌の柱は形造られたんだ”となったら、それはとても意義の有ることなんじゃないかと…。
多くの失敗や情けないことを繰り返しながら、これからもみはるは“リーダー”として広報誌の時間を過ごすことになるだろうと思います。
もっともっと、みんなに甘えられるようになりたいと思いながら。
そして、どうしても付け加えたいこと。
贔屓目なしに、広報誌の“クオリティ”は上がっています。
みんなの努力の結晶です。
これからも、そのタイトルに込められた
“さぁ、始まりだ!羽ばたこう!”
の思いの下に、みはる達は楽しい広報誌をお届け出来るように頑張ります。
全然出来ない…ってずっと泣き続けてきた“リーダー”としての役割。
それでも、みはるはとっくに気付いています。
新しい役割を任される度に
“コレ、(広報誌の)リーダーをやっていなかったら出来なかっただろうな。”
って。
そうして、リーダーをやっている限りはどっかでキツいんだろう…。
そんなことを思いながら、今、5号目の作成に乗り出したみはる達です。
きっときっときっと、5号目も楽しいモノになると思います♪
どうか完成するその日を
キリンのように首を長くして(笑)
待っていてくださいね。
みはる
~2019´10´13(日)