昭和の名曲に、ジワる。
昨日、時代の最先端を行く4Kテレビを見た。
鮮明な画像。
鮮やかな色彩。
「おぉ!流石は4K!!」
とは、ならなかった。(ーー;)
ド近眼にド乱視。
色の識別には、取り立てて問題は無い筈だが、どうやらみはるには"最先端"は分不相応なようだ。
時、正に【東京オリンピック】を控え、やれ4Kだの8Kだの騒いでいるが、みはるは至って普通にオリンピックを楽しもうと思う。
さて、冒頭の話に戻ろう。
4Kで見たのは"諏訪湖花火大会"だった。
隅田川も凄いが、思いも掛けず見ることになった諏訪湖の花火も素晴らしかった。
花火はただ単に夜空に咲き誇る"花"を見るだけではつまらなくて、やはり"ドドォーん!"という音が有ってこそ楽しめる。
みはるはテレビのボリュームを思わず上げた。
仕掛け花火も打ち上げ花火も見事だったが、一番感動したのは
❝音楽❞と❝花火❞
のコラボレーションだった。
もう、わくわくした。
今をトキメク、米津玄師さんのLemonや、君の名は。の主題歌
♫ 君を前前々〜 ♫
とか言うヤツ。(曲名、知らない)
…(・・;…
けれど、みはるの心がガクガクと揺さぶられたのは
“宇宙戦艦ヤマト”の主題歌と、尾崎紀世彦さんの“また逢う日まで”だった。
…古い…
それでも、この2曲に合わせて、スターマインや土星の形に花開く花火を見ていたら、不覚にもポロッと涙が溢れてきた。
これだから、年寄りは。(°ー°〃)
宇宙戦艦ヤマトには、ちょっと特別な想い出が有る。
小学校6年生の時、卒業式後に行われた❲謝恩会❳で、クラスの出し物として歌ったのだ。
実は、何を隠そう、イヤ隠すことなく堂々と臆面もなく言い切るが(笑)、みはるはピアノで伴奏を弾いた。
♫ ターンタタタタタターンタターン ♫
あの勇ましいイントロを力一杯弾いた。
謝恩会とは、保護者が担任の先生を労う為に催される会で、みはる達にとってはオーラスの小学校での出し物だ。
ピアノは大嫌いで、みはるの辞めたい習い事No.1の座から一度も陥落したことはなかったが、この時ばかりは、"ピアノ、習っておいて良かった!"と思ったモノだ。
如何にして効率よく練習をやった振りをするか?
一週間に1度のピアノの日は地獄で、しこたま出される宿題を、前日に半ばヤケクソ気味に弾いていた、辛い日々が思い起こされる。
それでも、謝恩会の日は誇らしかった。
何度も何度も練習をした。
あれ程キライな練習が楽しくて仕方がなかった。
指揮者の合図に合わせて、最初の一音を出す。
勇壮な出だしから最後まで駆け抜けて行く疾走感。
あの時代の男の子がみんな夢中になった、ヤマトの歌をみんなが大合唱した。
ピアノは親の厳命の下、惰性に惰性を重ねて、7年間習った。
高校受験を期に、"辞めて良い"と言われた時は、世界中に轟くような巨大な音のするクラッカーを鳴らしたい位だった。
今では音符も読めない。(;・∀・)
情けないけれど、少しだけ自分を褒められる想い出だ。
さて、もう一曲の"また逢う日まで"だが、流石にリアルタイムの記憶は無い。
然し名曲は色褪せないのだ。
とにかく、尾崎紀世彦さんの歌唱力は素晴らしい。
あの声量。爆発的なエネルギー。
イントロも特徴的で、それこそ最初の一音を聴いただけで、胸が高鳴る。
数日前、友人の引っ越しクライマックスを迎えていた日。
"この部屋にサヨナラとありがとう"
の意味を込めて、みはるは正しくこの歌を口ずさんでいた。
歌は様々な場面で、記憶に色を添える。
もし、今、昭和45年辺りから60年辺りまでの音楽を流す番組が有ったら、みはる完璧に歌える。(出来れば、本人の映像付きでお願いしたい)
みはるが自分を"おばさん"だと自覚したのは、昨今テレビで流れている歌が、サッパリ解らなくなった時だった。
あぁ、(この日が)ついに来たか…と。
みはるが子どもの頃は、音楽番組が花盛りで、大袈裟でなくほぼ毎晩、歌を聴いていた。
平成に入ってから、最早、音楽番組の殿堂入りを果たした感の有る"ミュージックステーション"もほぼ見ていない。(見ても、ワカンナイ)
うーん。イントロクイズ総てに正解出来た"ドレミファドン!"が懐かしい。
実にバラエティに富んだ方法で"音楽"を楽しめるようになった現代。
いつか、様々な媒体で音楽を楽しんでいる今の子たちも、いずれ自分が大好きだった曲を懐かしむ日が来るだろう。
今が、いつしか「あの頃」になる。
平成生まれのみんなも、是非、日々の出来事の中に音楽を取り入れて欲しい。
それが、"未来の自分"を思わず励ます糧になる。
なんつって。
思わず書いてしまった、おばさんからのお願いでした。
現場からは、以上です。(笑)
みはる
〜2019'8'16(金)