建築基準法と古民家
古民家は、建築基準法が取り合わない存在でした。昭和25年に制定された建築基準法の法体系は、現代建築用に作られていて、古民家(伝統工法)についての技術基準を持ち合わせていないのです。
ですから、それが「重要文化財」の場合は、法の「適用除外」として(建築基準法第3条⒈項1号)、文化財建築の専門家に委ねてしまいます。都道府県や市町村が指定した「指定文化財」の場合も「適用除外」とする道が開けています。
それが文化財指定に値しない一般の古民家(未指定文化財)で、昭和25年以前に建築されたものの場合は、「既存不適格物件」いう烙印を押して、社会から葬り去ろうとします。
一般に、大学の建築学科では木造建築については教えないのですから、県庁の建築指導課には伝統工法について技術的知見を持つ担当者がいないのですから、県の建築審査会には伝統工法を理解できる学識経験者は座っていないのですから、古民家を再生して活用するなどという案件は誰も審査したくありません。難癖をつけて門前払いすればせいせいするでしょう。(さすがに京都市や京都府はそうではないらしいです)
こうして、我が国の建築基準法の法体系は、文化財を排除し、古民家を冷遇して、常に「現代建築」を扱う体系に収まっています。
古民家(既存不適格物件)を改修しようとして建築確認申請するためには、まず、法施行以前に建てられたものであることを証明しなくてはなりません。明らかに江戸や明治と分かる建物でも、棟札やその建物が写っている戦前の写真を探すことになります。これが案外大変な作業です。建築主事が現地を見て、「コミンカ〜」と認定できないものでしょうか?
そして、前述のとおり、古民家については技術基準がなく、古民家改修の建築確認に際しては構造安全性に関する審査がありません。
特殊建築物(宿泊施設、レストラン等)に用途変更する際には防火安全性に関する審査がありますが、その技術基準は現代建築を対象にして定められたものなので、排煙設備、避難経路などに関する基準には、古民家には馴染まない基準が多く含まれています。
そもそも、法制定以前から存在していて、永い年月を風雪や地震に耐え、今もしっかりと建っている物件に対して、後からやってきた法律が「既存不適格物件」とか言って悪者扱いするのは大変失礼な話なので、これからは「歴史的建築物」と呼称するべきだと私は考えています。
ここに書いた、耐震安全性や防火安全性の構造設備基準が未整備である問題、既存不適格物件として耐震安全性の判断が放置されている問題のほか、不動産鑑定評価手法が未整備である問題、空き家住宅を残しておけば固定資産税が減免される問題、町家・農家等の一棟貸し宿泊施設を旅館業法が想定していない問題など、これらは、これまで「古民家の活用」に日本社会が取り組んでこなかったことの、古民家は不要であるとする社会の価値観の「現れ」であると考えられます。
よく聞く常套句に「建て直したほうが安い」というのがあります。町屋を買った施主さんから改修費用の見積もりを頼まれた不動産会社や建築士、工務店の担当者が言う台詞です。
一般に、そんな工事はしたことがないのですから、そんな仕事ができる職人はいないのですから、工事に手間や時間がかかるのですから、さっさと潰して工場からキットを運んで組み立てたら簡単なのですから、それで安定的な収益が見込めるのですから、誰もが上手く新築工事に持ち込もうとするのです。こうして多くの古民家が失われていきました。
この台詞には大きな間違いが2つ隠れています。ひとつは、実際は「建て直した方が高い」ということ。私たちは、新築よりも古民家再生のほうが安いということを証明し続けています。
もうひとつは、そもそも「比較できない」ということ。「永い時間を湛えた古民家」と「工業製品の住宅」を金額だけで比較するのはナンセンスです。一流シェフの料理とコンビニ弁当を金額で比較して優劣を決める人はいないでしょう。しかも、今では材料も技術も失われて、再建できない建物です。
ヨーロッパでは古い建物が好まれ、古いほど高価だと聞きます。イタリアでは1980年頃から「分散型ホテル」が事業展開されています。スペインの「パラドール」、ポルトガルの「ポザーダ」などは、お城や修道院などの歴史的建築物を改修して国営企業がホテルとして運営しています。
日本では、倉敷や川越などの例外はありますが、古い建物は不要なものであるとの価値観があまねく全国に普及しています。国民も、企業も、その大半が、古い建物はさっさと壊して新しい建物を建てるのが社会の発展であると考えています。一方で、同じ人たちが、ヨーロッパ諸国の旧市街を訪ねては、歴史的な街並みを散策して、食事をして、買い物をして楽しんでいます。この価値観の矛盾にどうして気づかないのでしょうか。
ここまで、ある程度割り切って、分かりやすく解説してきました。特に法制度の部分はそんなに単純なものではありません。私は建築のことは素人ですし、専門家の方はいろいろと口を挟みたくなると思います。ただ、正確に書くと文章が長くなり、事態の大要が分かりにくくなるのでご容赦ください。
それに、実は、ここまで書いてきたことは、過去のこととなりつつあります。国土交通省において、古民家についても建築基準法の適用除外とする制度設計が進み、伝統的構法の技術基準について検討が進んでいます。今国会に上程されている建築基準法改正案に、一部ですが、古民家活用を促進するための規制緩和が盛り込まれています。
また、行政のことを何か悪し様に言っているようですが、建築主事や行政職員のなかにも、(一般の企業と同じように、)フェアで良識的な判断ができる方が2割だけおられます。そして、政府や自治体の要所要所にそうした方々が揃っているときに、制度改革が実現することが経験的に知られています。以前に出稿した「文化財保護法」「旅館業法」の改正についても同じことです。
文化財保護法の改正(今国会に提案)、旅館業法の改正(6月施行)、建築基準法の改正(今国会に提案)と、ちょうどいま、歴史的建築物に関する制度改革が起きている訳で、私たちは、文化・観光・まちづくりに関する価値観の転換の、その折り返し点にいるのです。
少し遡ってみましょう。この価値観転換の萌芽が芽生えたのは、平成7年の阪神淡路大震災の時であったと思います。壁にクラックが入ったり、少し傾いたりしているけれどもまだまだ修復可能な未指定文化財が、「公費解体」の期限を迫られて、次々と壊されていきました。
その風景を憂慮した兵庫県の建築部局、教育委員会、建築士会の有志が立ち上がり、登録文化財制度の創設に取り組みました。「文化財」の裾野を広げることで、できるだけ多くの文化財を地域に残していこうというものです。
そして、その制度を支える人材を育成するため、平成13年に、ヘリテージマネージャー制度を創設しました。「地域に眠る歴史的文化遺産を発見し、保存し、活用し、まちづくりに活かす能力を持った人材」を育成する制度で、定められた講習会を修了した建築士等が「ヘリテージマネージャー」に認定されます。
登録文化財制度は国の制度。兵庫県から始まったヘリテージマネージャー制度はその後全国に波及し、現在では、登録有形文化財(建築物)の登録件数11,690件、ヘリテージマネージャーは3,000人を超えていると聞いています(弊社にも腕っこきのヘリテージマネージャーが在籍しています)。これが価値観転換の「その時」を形づくる胎動期であったと言ってよいでしょう。
古民家に関する技術的知見も蓄積されてきています。いよいよ、「その時」は満ち、日本社会として、古民家の技術基準の確立に、正面から取り組む時期が到来したと私たちは考えていました。
そんな折、国家戦略特区の有識者ヒアリングに呼ばれる機会がありました。特区制度創設直前の平成25年7月19日のことです。課題整理をしてヒアリングに臨み、規制改革を訴えました。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc_wg/hearing_y/index.html
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc_wg/hearing_y/kinnishi.pdf
その後の大まかな進展は次のようなものでした。
平成25年9月9日、国家戦略特区ワーキンググループに、伝統工法等の専門家から構成される審査会の創設と、同審査会の同意に基づく指定物件の建築基準法の適用除外(ローカルルールづくり)を提案。
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc_wg/pdf/11-rekishiteki.pdf
平成26年4月1日、国土交通省が、「提案内容は現行法で対応可能」とする技術的助言を発出。
http://www.mlit.go.jp/common/001040947.pdf
技術的助言の抜粋「法第3条第1項第3号の規定の適用に当たっては、歴史的建築物の保存活用が円滑に進むよう、地方公共団体が建築審査会の同意のための基準(以下「同意基準」という )を定め、当該同意基準についてあらかじめ建築審査会の包括的な了承を得ることにより、別途、地域公共団体に設ける歴史的建築物の保存活用や構造安全性に詳しい者等により構成される委員会等において個別の歴史的建築物について同意基準に適合することが認められた場合にあっては、建築審査会の個別の審査を経ずに、建築審査会の同意があったものとみなすことができること。」
平成26〜27年度に、豊岡市が、城崎温泉の木造3階建築の保存活用を目的に、地域審査会の設置と同意基準の策定作業を進めましたが、兵庫県建築審査会が、適用除外のために「建築審査会の同意」が必要(建築基準法第3条1項3号)とする責任を放棄できないとの見解を示し、国土交通省の見解(技術的助言にある「建築審査会の個別の審査を経ずに、」)と特定行政庁建築審査会の見解(建築基準法にある「建築審査会の同意」)が対立。地域審査会、同意基準の検討は頓挫。
全国に、建築基準法第3条1項3号に規定されている「その他条例」を制定する動きが広がる(例:平成27年3月「福岡市歴史的建築物の保存及び活用に関する条例」)。ただし、歴史的建築物活用の事例はまだ少数。
平成29年2月22日、国土交通省が「歴史的建築物の活用促進に向けた建築基準に関する連絡会議」を設置。計6回の連絡会議での検討を経て、平成30年3月16日、「歴史的建築物の活用に向けた条例整備ガイドライン」を策定。「その他条例」の普及を図る。
合わせて、「歴史的建築物の活用に関する参考資料」を公表。
http://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/build/jutakukentiku_house_tk_000084.html
平成30年3月6日、建築基準法改正案を閣議決定。
http://www.mlit.go.jp/report/press/house05_hh_000708.html
まだまだ先は長いと思いますが、政府の努力により、いよいよ新しい世界が見えてきました。旅館業法の改正、文化財保護法の改正も合わせて、古民家活用の環境が整ってきました。
「公費解体」によって歴史的建築物が消失する事態は、平成23年の東日本大震災、平成28年の熊本地震でも起きていますが、ヘリテージマネージャーの活躍によって残された物件もあって、成果は確実に現れています。
ゴールは、日本社会に伝統的構法に関する技術基準が備えられ、特定行政庁や民間審査機関に、それに詳しい建築主事がいて、古民家等の歴史的建築物についても、普通に建築確認申請をし、普通に審査される、歴史的建築物は活用するのが当たり前、という世界が実現することです。
そのためにも、私たち事業者としては、古民家活用の良い事例を各地に造りながら、その技術体系の構築や関係人材の育成に貢献していきたいと考えています。
最後に、古民家活用に際しての、弊社の基本姿勢を述べておきます。
古民家等の歴史的建築物を後世に継承すること、そのことを通じて、日本文化の再生、内発型産業の創出、地方創生を実現することがミッション。
だから、法の抜け穴を探してすり抜ければよいとは考えていない。単に規制が緩和されれば良いとは考えていない。王道を往く。
法令による義務付けの有無には関係なく、建物の構造安全性(耐震補強など)、防火安全性(スプリンクラー設置など)を確保している。
また、旅館業法の趣旨に沿って、宿泊客との面談や緊急連絡体制の確保は、当然のこととして実施する。
そのうえで、非合理な規制は廃止、見直しを求めていく。