国土計画制度の現状(その2)
(その1)の国土利用計画法に基づく「土地利用計画」制度に続いて、今回は、国土総合開発法に基づく「全国総合開発計画」制度についてレポートします。
全国総合開発計画は、第1次(1962年閣議決定)から第5次(1998年閣議決定)まで実施されたもので、それぞれ「地域間の均衡ある発展」「豊かな環境の創造」「人間居住の総合的環境の整備」「多極分散型国土の構築」「多軸型国土構造形成の基礎づくり」なる基本目標を掲げて、国土開発(拠点都市の整備、新幹線・高速道路などの交通ネットワーク整備)を進めてきました。
(これは、国家というコミュニティ圏域における「点」と「線」の計画であったと整理できます。)
第5次までの計画には、大都市への集中の抑制、地方の振興、地域特性の尊重、自然との調和、居住環境の整備などの理念が一貫して掲げられてはいますが、結局、道路整備五箇年計画などと連動して、国や地方が実施する拠点施設や交通基盤といった社会基盤整備事業を取りまとめ、その投資規模を明示する(予算枠を確保する)といった意味合いが強いものでした。
このようにして、高度経済成長期には、拠点施設やそのインフラの整備といった公共事業を通じて民間の産業機能の集積が促進されたのですが、このとき、その空間の「質」を問うという理念はほとんど存在していませんでした。
実際、個々の施設は、それぞれの公共施設や民間施設の設置者が、それぞれの設置目的に従って整備するというのが常態だったのです。
例えば、幹線道路は都市構造や沿道土地利用とは関係なく、交通機能の充足と施設整備の経済性を主眼に計画されました。
民間の建築物は、都市計画法などに基づく一定の制限は課されているものの、立地、規模、用途、デザインなどについて、個別で自由な発想で施設整備が行われました。周辺の町並みの形態や意匠、色彩などとは関係なく、敷地活用の効率性や事業者、建築家の嗜好により計画することが常識であったのです(現在でも同じですね)。
つまりは、産業機能を担うこれらの施設は、「空間を統合する意志」が希薄なまま整備・開発されたのであり、その結果として立ち現れる風景は、生身の人間に快適な生活を提供するものとはならなかったのです。
そして、人口減少局面を迎え、2005年には、国土総合開発法は国土形成計画法に改称・改正され、2008年には、その国土形成計画法に基づいて策定された国土形成計画が、全国総合開発計画に変わって国土計画を担うことになりました。
国土形成計画法の第一条には、「国土の自然的条件を考慮して、経済、社会、文化等に関する施策の総合的見地から国土の利用、整備及び保全を推進する」、「現在及び将来の国民が安心して豊かな生活を営むことができる経済社会の実現に寄与する」と、同法の目的を謳っています。
そして、第二条において、その内容として「土地、水その他の国土資源の利用及び保全」「海域の利用及び保全」「震災、水害、風害その他の災害の防除及び軽減」「都市及び農山漁村の規模及び配置」「産業の適正な立地」「交通施設、情報通信施設、科学技術に係る研究施設」「文化、厚生及び観光」「国土における良好な環境の創出」「良好な景観の形成」を掲げており、統合への意志が感じられる記述になっています。
(同法では、国土形成計画は全国計画と広域地方計画で構成することとしており、コミュニティ階層は、「国家」と「広域地方圏」(首都圏、近畿圏、四国圏など、道州サイズ)を指向していることになります。)
この国土形成計画は、時代認識や社会問題の認識、日本が進むべき方向性、基本的な施策など、至極もっともで網羅的な内容となっています。広域地方圏ごとに具体的な戦略も記載されています。これらの計画がどれだけ「国家」「広域地方圏」というコミュニティに根を張ることができるか、すなわち「空間化」できるかが問われることになりました。
しかし、かつての全国総合開発計画と同様に、その評価手法や実施主体が明確に記載されておらず、計画実現の責任の所在も不明確なことから、その実効性は疑問と言わざるを得ません。
空間の「質」に関する意識、つまり「空間を統合する意思」もまだ希薄です。
また、「都道府県」「市町村」「小学校区」「自治会」といったコミュニティ階層への制度適用は想定されておらず、地方政府の総合計画やまちづくり条例などによって制度補完が必要であると考えられます。
(その1)と今回の(その2)で、国土計画制度(国土利用計画と国土形成計画)の現状について、ごく簡単にレポートしました。これから、これらの制度を、実効性のある制度に再設計していく必要があります。人口減少社会、成熟社会、市民社会、ポストコロナ社会に見合った国土計画とはどのようなものなのか。次回からはその構想について述べていきたいと思います。