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まちづくり権

2019年10月28日(月)、神戸地方裁判所に丹波篠山市を提訴しました。篠山城下町のJRバス跡地におけるホテルルートイン建設について、開発許可の差し止めを求めるものです。

丹波篠山市には、全国でも稀で先進的でキメ細かい土地利用コントロールを定めた条例があります。2014年に施行された「土地利用基本条例」と、それに基づく「土地利用基本計画」です(今回の訴訟では、この基本計画に定める立地基準に違反していると主張しています)。私は県職員、副市長、まちづくりアドバイザーと立場を変えながら、14年間に渡ってその制度設計に関わりました。

始まりは、2001年でした。私は、丹波県民局まちづくり課長として、兵庫県の緑豊かな地域環境の形成に関する条例(通称「緑条例」)の改正を担当することになり、丹波地域のゾーニング(歴史的な町の区域、まちの区域、さとの区域、森を生かす区域、森を守る区域の区域区分)と、それぞれの区域のガイドライン(土地利用指針、建築指針、緑化指針)を定めました。その制度設計に3年が必要でした。当時はまだ景観法も制定されていませんでしたし(景観法が施行されたのは2005年)、時代を先取りする画期的な制度であったと思います。ただし、この時のガイドラインによる規制は、行政指導であって法的な拘束力のないものでした。

私が、次に丹波地域に赴任したのは2007年のことでした。篠山市副市長でした。私は、2008年頃、タウンミーティングなどで「篠山は、これからしっかりとしたまちづくりをすれば10年後にユネスコ世界遺産になれる」と言って、笑われていました。そして実際には、7年後の2015年に(世界遺産にはなりませんでしたが、)「ユネスコ創造都市」に認定されました。神戸市、金沢市、鶴岡市などに次ぐ国内で7番目の認定でした。

赴任して暫くの間、私は破綻寸前の財政の再建に追われていて、それがあまりに辛かったので、前向きなまちづくりも進めて、未来に希望の火を灯したいと考えていました。
まず、2009年4月〜11月に開催した「丹波篠山築城400年祭」を統括し、外向きの一過性の記念イベントではなく、内向きの「市民によるまちづくりの祭」を企画運営しました。大きな予算は使えませんから手作りのイベントでした。
その前年の2008年から「これから100年のまちづくり委員会」を設置し、市民とともに今後のまちづくりについて議論し、2010年3月に、シンポジウム「これから100年のまちづくりを考える ~歴史と文化を活かすまちづくり、いま見えてきたこと~」を開催しました。この辺りで、創造都市論を理論的基礎とするまちづくりの方向性が見えてきました。
また、2010年12月には、景観条例を制定しました。

そして、2011年3月の副市長退任後は、市のまちづくりアドバイザーとして「土地利用基本条例」の制定に関わりました。兵庫県の緑条例を、篠山市域にブレークダウンし、内容を精緻化し、対象行為を拡充し、基準を法定化したものが篠山市土地利用基本条例なのです。そして、2014年6月のこの条例制定を機に、まちづくりアドバイザーを退任しました。

一方、地域課題を解決し、地域再生を実現する民間組織として、2009年2月に設立した「一般社団法人ノオト」では、
2010年の10月に、NPO法人集落丸山の人達とともに、古民家の宿「集落丸山」を開業しました。篠山城下町などでも順次、古民家等の歴史的建築物の活用を進めました。クリエイティブな料理人、工芸作家、デザイナーが篠山に移住・定住するようになりました。

2011年1月には、神戸市で開催された「創造都市ネットワーク会議」で、農村地域の暮らしや生業にこそ地域課題を解決する創造性を見い出すべきであるとする「創造農村」の概念を提唱しました。そして、2012年10月、産業創造、林業再生、食文化創造などに取り組むゲストを全国から篠山に招き、「創造農村フォーラム」を開催しました。
2013年7月、歴史的建築物活用分野で国家戦略特区の事業提案を行い、2015年3月に関西圏国家戦略特区の特区事業者に認定されました(これが後の旅館業法改正、建築基準法改正、文化財保護法改正につながることになります)。
2013年9月、篠山市からの受託事業で「篠山市創造都市推進計画」を取りまとめました。計画の中には、従来のマスツーリズムとは異なる「暮らしのツーリズム」を推進することが謳われています。
2013年度から17年度までの5年間、文化庁からの受託事業として「創造都市ネットワーク日本(CCNJ)」の事務局を担い、全国ネットワークを築きながら創造都市、創造農村の普及に貢献しました。

このようにして、ノオトは、2009年2月の創業から、2015年12月のユネスコ創造都市認定に至るプロセスを主導するとともに、篠山市創造都市推進計画に沿ったまちづくりを実践してきました。同時期の2015年10月には、国家戦略特区制度を活用して、日本初の分散型ホテル「篠山城下町ホテル」を開業しました。その後、集落丸山と篠山城下町ホテルは、政府の「歴史的資源を活用した観光まちづくりタスクフォース」のモデル事業に取り上げられることになりました。それらは、決して平坦な道ではありませんでした。

いま、私は、丹波篠山がこれからしっかりとしたまちづくりを続けていけば、10年後には、ビルバオやサンセバスチャンのように世界中の人が憧れる町になれると考えています。

丹波篠山には、先人が築いてきた歴史文化とともに、美しい風景を創るために必要な行政の「法制度」と、民間による「文化観光まちづくり事業」が揃っているからです。左手に「良き規制」を構えておいて、右手で「良き開発」を実行する。ヨーロッパの都市では当たり前のことですが、日本の都市では稀有な例なのです。

そのユネスコ創造都市が旧態依然とした開発を誘致して、なぜ、普通の町になる道を選ぶのでしょうか。全国のモデルとなる素晴らしい制度を、なぜ、安易に反故にしようとするのでしょうか。「景観を守るだけでは市民は納得しない」と市長は説明しますが、土地利用や景観の秩序を守ることと経済的発展は対立する概念ではなく、同じ方向を向いているひとつの運動なのです。日本においても、そのような時代認識を持って未来型のまちづくりを進めるべき時代が到来しています。

今回の開発事案は、単にある自治体の開発行政の問題ではなく、日本社会の未来に関わる重要な問題です。安易な開発許可、制度を無効化する運用を看過する訳にはいきません。そのような訳で、私はかつて取り組んだ「左手の法制度」を守護すべく、「右手の事業者」であるノオトの代表を退任し、退社して、個人として原告となりました(仲間がひとりいてくれて原告は2名です)。

ただ、こうした「まちづくりをする権利」というものは、果たして法的に認められるものなのでしょうか。私が法律上の利益を有しているかどうか、つまりは「原告適格」かどうかも争点のひとつになるかと思います。




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