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青春漫画抄(昭和)⑦
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*《吾妻ひでお(日出夫)》
やっとである!(笑)。
奴が漫画を描いていることはそれとなく聞いていたが
クラスも違うし話す機会も無かった。
高校も3年となり、進学コースで同じクラスとなったが
いつも教室の片隅で
何やら誰かと幼児的にフザけ合ってる様子を見るにつけ
特に付き合う必要性も感じないでいたのだが・・・
たまたま奴の席が私の後ろとなり、ついに話しかけた☆
という流れである。
先にも書いたが、私は高校二年から「独り暮らし」となり
極めて自由な生活をしていた。そんな私からの接触は
吾妻にとって「悪魔の囁き」であったに相違ない。
先にも書いた私の部屋にも遊びに来るようになったが
私から様々な教育を受けることになるのを・・・
この時の吾妻はまだ知らないでいた。
*《小林の話》
さて、一度も一緒のクラスになった事のない私の友人に小林がいて
何故だか一年生の頃から付き合っていたが、私の部屋に実家の店から
あれこれ差し入れてくれる貴重な友でもあった。
私の影響からか、彼も絵に傾倒していて彼のアイディアで
浦幌町に一軒だけあった喫茶店で、彼との合同の個展を開催した事もある。
私が柔道部に入れば彼も入り、私からの投げられ役も買ってくれる程の
貴重な人材でもあった。
高校二年の修学旅行の際も、東京での自由行動を選んで
彼と一緒に、上野でその時に開催されていた『ミロ展』を見学。
その日の夜には彼の親戚の家に泊めてもらう事となり、感謝である。
翌朝、小林と別れて私は単独行動を選び
かねてから計画していた『虫プロダクション』に飛び込みで訪ねた。
綺麗なお姉さんが付き添いで案内してくれて・・・
アニメ映画製作の現場を堪能した。
帰るときには貴重なセル原画までいただけて
大正解の選択に満足しつつ
修学旅行の集合場所へと向かった。
小林の話を続ける。
場面は高校を卒業した年の東京に飛ぶ。(いきなり?)
私の居た職場に小林が訪ねてきた。
しばらく会わなかった間の話を聞いた。彼は画家を志していて
著名な現代画家であった東郷青児のもとを訪ねて弟子入りを求めたらしい。
当然ながら断られると・・・
なんと、東郷の家の前で一週間の座り込みを続けたのだという!
小林の体力が尽きて、ついに断念したという話だった。
馬鹿である。(笑)
その年も夏が過ぎて秋となり、冬が訪れていた。
職場の変わっていた私は、その日の夜のかなり遅い時間・・・
仕事を終えて、池袋の東口前の大通りの歩道を歩いていた。
対面して歩いてきた女性からいきなり声を掛けられた。
彼女は・・・高校を卒業してバスガイドになった筈の同級生だった。
そして、その時に彼女から、暫く疎遠になったままの小林の話を
聞かされたのである。
「小林君・・死んだよ? どうして私君が知らないの?」
「・・・・・・?!」
絶句である。
夏に釣り場で波に飲まれて落下したのだという。
彼女とこの場で出会ったのも・・・
偶然ではない何かの采配を感じていた。
1969年・・・昭和44年。
高校を卒業して翌年の出来事だった。
・・・以上で、人生の全ての時間を終えた小林の話は完とする。
願わくば、自らを世に示さんとして未決した
彼の強い思いの一端でも感じとって頂けたら幸いである。
(つづく)
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