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青春漫画抄(昭和)⑯


*当時の都立家政駅近辺


*《 関谷ひさし 》


1968年・・・

北海道から上京し
東京で暮らし始めた北海道の漫画仲間5人。
その内の3人が同じアパートにそれぞれの部屋を持っていた。

アパートは西武新宿線の「都立家政」にあり、
隣には西武池袋線があって、同位置を繋ぐように「中村橋」があって
まだ正式にアシスタントの仕事も決まっていなかった私は・・・

中村橋を目指して歩いていた。

何かの情報で、
そこに「関谷ひさし」が住んでいる事を知ったからである。


雑誌『少年』の『ストップ兄ちゃん』を筆頭に、
数々の作品で楽しませてくれた大好きな漫画家であり、
ただそのことの理由だけで・・・その自宅を訪ねたのだ。 

チャイムを鳴らすと、なんと本人が出て来てくれて・・・
居間に招き入れてくれた。


居間には古いピアノが置かれてあり
広いガラス越しに綺麗な庭が見え、その先には岩場があしらわれていて、
優しい滝のような水が音を奏でて流れていた・・・☆

私は緊張のままソファーに座り・・・
親分肌なオーラを放つ、関谷先生の様々な体験談を聞いていた。


「で、きみは何か仕事が欲しいの?」と聞かれ、

「そうです!」と答えた。


そしてなんと・・・その日のうちに
「虫コミックス」から出版予定だった『ストップ兄ちゃん』の
サイズ合わせの描き足しの仕事をもらったのである! 

『ストップ兄ちゃん』の生原稿を抱え
意気揚々とアパートに帰った私だが・・・

思えばいきなり訪ねてきたどこの誰とも知れない若造に
いきなり大事な原稿を託した関谷先生の勇気と決断は
まさに親分の采配のようであった。

☆☆☆


当然ながら即、その日手にした生原稿の数ページに向かい、
指示されたように描き足す作業に没頭した・・・!!

関谷先生的には
私の技量を確かめるテストだったと思うが・・・合格☆
次から一巻分の生原稿を持ち帰り、必死で作業した。

何巻目の時かは忘れたが必死過ぎた無知ゆえの暴挙にも出た。
数ページを「描き足し」ではなく「描き直し」たのである?!
もちろん本人と見紛うものではない自信はあったが・・・

なんと親分は、それさえも笑って採用してくれたのである。 
その後の仕事は、反省しつつ・・・
「描き足し」に徹してやり終えたのであった。


関谷先生には、その懐の深さに感謝するしかない。

(つづく)



『ストップ!にいちゃん』より。


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