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青春漫画抄(昭和)⑩
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*次のターゲットが決まった!
『佐藤まさあき』先生の『佐藤プロダクション』である。
当時は『さいとうたかお』の『ゴルゴ13』の開始される前だったが
貸本世界からの商業誌・漫画界への殴りこみのように
「劇画」が力を見せ始めていたのである。
佐藤先生は、さいとうたかおと劇画の双璧をなす存在であった。
アシスタントの募集人員は3名。
住み込みで、月収の事までは書かれてはいなかったが
上京さえできれば全ては不問である。
絶対に採用されるべく力作の見本を描いて応募し・・・
ついに、採用!!の通知が来た。
私の上京への道は開かれたのである。
その頃にはもう
芸大も絵画も私からは遠い世界にあった。
*《 上京に向けて・2 》
漫画研究会を通して
同学年で上京する道内の有志との繋がりも出来ていた。
何故そんな流れになったかは不明だが、札幌でのその日、
『忠津陽子』の実家に、道内に分散する何人かが集まっていた。
忠津さん本人。五十嵐ゆみこ と彼女の妹。
私と仲間となった菊池。川端。そして吾妻である。
例によって、話した内容などは覚えちゃいない。
ただ、意外だったのは
忠津さんのお母さんが私を知っていた事だった。
私の幼少時に描きたまった絵の展覧会が
地元、置戸町の公民館で開催され、
「天才少年」として新聞に掲載されたこと。
さらに、私のいた幼稚園から広場を挟んだ保育園には
同時期に忠津さん本人がいた事も知らされ・・・
お互いビックリした事である。
北海道も意外と狭い。
*《 高校卒業、そして東京へ 》
いろいろあったが
高校も無事に卒業できて、出発の準備も整った。
吾妻は東京の印刷所への就職が決まり、私は高田馬場にある
佐藤プロダクションに採用と住み込みが決まっていて
一緒に北海道を出ることにしていた。
いよいよ出発である!
北海道を出るといっても、出るまでが長い道中である。
時間帯は忘れたが、浦幌から札幌へ・・・
札幌から、食堂車両のある急行に乗り換えて函館へ・・・
札幌を出発してから、どれ程の時間が過ぎたろうか・・・否、
私と吾妻はとんでもない暴挙に出ていた。今でいうDQNである。
飲食の為に短い時間を費やす食堂車両に
私と吾妻は居続けたのである。
少ない注文に長時間・・・
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利用する客が少なかった事もあり、その車両は私達の専用と化していた。
仏様のような笑顔のスタッフには、永遠に感謝しなければなるまい。
函館着
仏様たちに笑顔で見送られながら、私達は車外、そして青函連絡船へ。
青森着。
寝台列車、当然、夜行である。
長い夜、やがて夜明け・・・
北海道とは違う「内地」の風景が走って行く・・・
そしてついに車窓は灰色の東京へ☆
*《 東京着 》
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私と吾妻は上野駅で別れて、それぞれの行き先に向かう。
別れの言葉なんぞ覚えちゃいない。
ここが、私がプロの世界に関わる分岐点である。
駄文を読まれている方も
ここからがようやく本来の興味を持ちつつ
読み進めたいところだと思うが
この世界の主役はあくまで『私』である。
ここで、ずっと触れないままでいた私の出発点に
ワープすることをお許しいただきたい。
(つづく)
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