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青春漫画抄(昭和)⑰


*東京・新宿夜景。


*《 それぞれの職場 》


私は「桑田次郎」。吾妻と菊池は「板井れんたろう」。
川端は「井上英沖」。和平は「水島新司」。伊藤は「池上遼一」。
それぞれがプロ漫画家と密接して生きていた。

その頃、新宿に、漫画を志す若者にとっては聖地のような
『コボタン』という漫画喫茶があり
我々北海道衆もよくそこで合流し近況を交換、
漫画話に華を咲かせていた。


そんな折、新宿に繰り出した我々の所持金が少なく・・・
新宿から帰れなくなったことがあった。

困った我々だったが
「似顔絵はどうだ?」と、誰かが言った。

そこで・・・画力に長けていた私に白羽の矢が立ち
実行する流れとなる。
街頭でターゲットを見定め・・・
清純そうな綺麗なお姉さんに声を掛けた。

正直に状況を説明し
電車賃だけでもいただけないかとお願いしたところ、
500円での交渉が成立したのである。

当然ながらいつも携えているスケッチブックに
緊張しつつも笑顔の彼女を描写し・・・
似顔絵画家としての私のプロデビュー(違!)を終えた。

お姉さんには皆して大感謝であった。


漫画に夢を託して北海道の各地から上京し、
何も知らないままに元気だけは世界一。

その時には気付きもしない我々の
輝く青春時代だったのである。


*《 井上英沖 》


覚えているのは、この時期の川端から、
あまりにもブラックな職場状況の愚痴を
散々、聞かされていた事である。

井上英沖も北海道の出身であり
『遊星少年パピイ』で、テレビアニメにもなった売れっ子で
銀座で歌う美人歌手の奥さんもいて・・・

川端が言うには、
先生からも奥さんからもあまりにも理不尽な
要求を求められていたとの事だった。(詳細は忘れた。笑) 


実は、井上英沖と私とは後の出来事を含めて
少なからずの因縁がある。

私が小学5年生の頃、
漫画家としてデビューした彼の作品に出会い
作品を見て・・・

「なんて絵が下手な漫画家なんだ?
・・・この程度なら俺でも描ける!」

が、その時の私の感想だった。(ごめんなさい!) 


地方公務員だった父の部下が自宅に遊びに来ていて、
大人たちが呑みつつ・・・

「漫画に興味があるなら紹介しようか?」と
言われた事がある。その人の同級生が「井上英沖」だった。

当然、私は
「あんな絵の下手な漫画家?」のイメージのまま

「結構です!」と、お断りした過去があったのである。 


そんな頃に、桑田先生から

「近くに引っ越してきませんか?」とのお話があった。


仮想「トキワ荘」の、短く、儚(はかな)くも終焉の頃合だった。

(つづく)




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