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さむほーる #エッセイ

親指を通してみると本当に暖かく感じる。
手の甲があたたまると体感温度が変わるというのはほんとうらしい。

全然信用してなかったしデザイン的な面で受け入れれなかったけど(なんかださくないか?とか必要ある?とかほんとに?が先に経ってたものだから)

その当時よくみかけるようになった袖に穴が開いている服を試着する機会があったのですが、ふと騙されたと思ってやってみたところだった。





不思議だなぁって思うことって世の中にはたくさんある


単純に知らなかっただけってことなんだけど
ようするに食わず嫌いなわけで
どこかで決めつけが過ぎるところがあるのでは?と思うのです。


こうしたことがなんとなく増えた気がする。



なぜかというと情報が増えたからじゃないかと今思った。
選択肢が増えたから、ともとれる。
たしかそうな情報が増えることによって、実際にどっちが(どれが)ほんとうか、または自分に合うのか選ぶ余地がでてきたのだ。
これはすごいことで、ある程度成功が保証されていることになると思う。

つまりこれまで手探りで
なんなら必要なければ(そう判断したら)無理にとりにいかなくてよさそうなことがらでも、プラスにはたらくのであればとりにいってもいいんじゃなかろうか?という選択肢が生まれたことに他ならない。これは余裕がうまれたともとれるがぼくは余地が生まれたと考えています。

余地と最初に検索、Google先生で調べると「余っている場所」このあたり、意外としっくりくる。
べつにぜったいにに埋めたいところではないのに、有効に使いたがる。
「もったいない」にも近いところ。
持て余している要領があるのならすこしでも有利にとか有益に働かせてもいいんじゃないかという発想。

良くもわるくも、とりにいかなくてもよい余白を埋めに行く行為に最近振り回されとるなぁということを書きたかったようです。



なんてことはないひとりごと。

これが偏見というやつなのかわからないけど

今は、なんなら率先して指を通すようにしている。いいものは取り入れるスタイルです。

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さとう じゅんいち
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