surusurukeiさんへ #勝手に感想note
はじめに
#勝手に感想note をご了承くださってありがとうございます
surusurukeiさんのような文を書きたいなと、noteを始めた当初から思っています。なかなか書けそうで書けないんですよね。もちろんいい意味で(んっと、もはや最近ずっと読んでると、尊敬です…うん)
surusurukeiさんの文には肩の力が抜けた、クールさがある。「街」がよく似合う印象でした。コーヒーや美味しいものが好きなようで、投稿に選ばれる画像を見ているとそれがよく伝わります。どれも美味しそうなものばかりでどんな味なのかな?と、つい想像してしまいます。
現在はテレワーク中のようですので、プライベートと仕事の境界線がなかなか、難しいんだなと感じました。ぼくはテレワークとは無縁でしたので始めの頃はネットに堂々と触れる時間がとれて羨ましいなぁ、なんて気軽に考えてしまっていました(すみません)いくつか投稿を読ませてもらったあと、やはり「背景」が違うと「分別」が難しいのだなと改めて考えさせられます
これから初めてsurusurukeiさんの投稿を読まれる方に一点だけお伝えすると
気をつけて下さいね。たぶん読み始めるとつぎつぎ読めちゃうから(どこから始めても)
※夜中に読み始めると、確実に朝になります。読むときは昼間やお休みの日がオススメ
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たくさんあったのでどれにしようか本当に悩みました。どれも一定の安定感と味があるので。今回は8個の投稿を選ばせていただきました
・家の中で過ごす週末に思ったこと。 ・後から足せる福神漬けが好き。 ・待ち合わせの約束 ・ランドセルを放り投げて、旅に出る。 ・本当はそうでもないこと ・パイナップルケーキを買ったみたいに ・「近く」の先の「遠く」を見に行く。 ・晴れでも雨でもない曇り空
注)色の違うところは投稿内より引用させていただいてます
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家の中で過ごす週末に思ったこと。
外の冷たい風が入ってくるだけで、不安に膨らんだ気持ちがしぼんで楽になる感じがしたし、ときどき聞こえてくる濡れた道路を走る車の音もなんだか落ちつく。
外の世界を感じる瞬間、自分だけじゃなく世界が動いていることを五感で感じることで落ち着けることはよくあります。考えごとや、モヤモヤした時、ふと立ち止まった時でも、自分以外は動いていて、そのおかげで1人じゃないこと、世界は自分が止まっていても(動けない状態になってしまったとしても)世界が動いていることを無意識に感じ、少しだけ安心する
ついてるなぁなんて思ってカゴに入れたら温泉たまごの4個入りだったりして、家でのけぞったりはしたけど。
1人暮らしの時、同じ経験がありました 笑(飲むヨーグルトも、全く同じ経験ありです)
チョコレートケーキには幸福感を思わせる何かがあるよなぁ。
確かに。チョコレートケーキってかなり甘さの度合いが大きいけど、ひと口ひと口がくどくなる手前ギリギリのところ。絶妙なんですよね、チョコレート単体よりもソフトでクリーミーさがある、スポンジと口の中で合わさってから広く長く甘さが残る。
更にコーヒーでも流し込もうものなら、苦さと甘さがマッチして幸福感を倍増させます。あれは罪。まさに、至福の時。ぼくもケーキ全般甘いものがスキ。ちなみにチーズケーキが1番スキ
後から足せる福神漬けが好き。
えー、そうなんですかぁ。と残念な気持ちが思わず口からでちゃって、すいませんと申し訳なさそうな店員さんに、こちらこそごめんなさいと思う。言えなかったけど。
この描写が可愛さを少し感じさせてくれました。男の子のような、福神漬けが純粋に食べたかった心模様。つい口に出してしまったことで、相手に不意に謝らせてしまった罪悪感、そのまま自分が続けて「こちらこそ」と言ってしまえば、相手を気まずくさせてしまうであろうことを察してあえて何も言わない…大人の対応だなぁと感心しました
すみません野暮な解説です、分かってます。でもいいじゃないですか。たまには誰かに褒められたって
(仮に違ったとしても、そんな風にイメージできたので受け取ってください)
選べる選択肢の多さは生きやすさだと思う。自粛のためのテレワークと働き方の自由のためのテレワークも、時間を潰すために読む本と読みたいから読む本も、旅行に行けないのと行かないのも、似てるけどどれも違う世界の話みたいで。
ハッとさせられました、忘れがちなこと。
多くの人が気付いていないことだと思います、「できないからやらない」と「できるけどやらない」では全然といっていい程、出発点や意味が違う
日本は生きやすい方だと個人的にも思っています。それはやっぱり選択肢が「ある」から
(こんなこと言うと一部の人からは怒られるかもしれませんね…)
待ち合わせの約束
好きでも、嫌いでもなくて、わからないなぁと思ったものは、ハードカバーの本やレコードみたいに場所を取るものでも、大切に取っておく。貸してと言われても、人によるけど、どうにか断るようにして。「あれ、返して」と言うのは、とっても面倒だから。
ここにsurusurukeiさんの人柄が良く出てる
わからない言葉とか音楽とか、今している経験は、きっと、これから待ち合わせをしていたような2度目の出会いがあって、ずっとわからないなぁと思っていたことも、いつかわかるようになる。
昔同じように考えていました。20代後半くらいの時。すっかり最近は忘れてしまってました…
この企画を始めたぼくが正にそうで今からが実は2度目の出会いのような感覚です。わからなかった音楽を聴いていて、わからなかった言葉や人を知る、どうやらnoteが2度目の出会いでした。この文でまた実感できたことが今はとても嬉しいです。
ありがとう、surusurukeiさん
(ストーンローゼスはあまり好みじゃなくて、聴いてこなかったんですけど、surusurukeiさんのTwitterプロフィールのとこに書いてあったから気になって久しぶりに聴いてみたら、今は良いと思ってます。water fallが特に良いです)
わからないことは、待ち合わせの約束だから大切に覚えておかないとなぁと思ってます。
ランドセルを放り投げて、旅に出る。
タイトルも内容も、1番スキ。松本にぼくは行ったことないけど、ずっと行きたい町。
どうしてこんなに共感することばかりなんだろう、多分同じような仕事の悩みと年齢のせいかも。と考えてます。ただ、決定的に違うのは目の前の「物事」との向き合い方、捉え方。
ぼくは自分の中で見つけた最善の方向で道筋を見てしまいます。そして、見切り発車が多い。
surusurukeiさんはキチンと「物事」を見て、自分で咀嚼して、広く視野を持ってから行動されるようなイメージ。ちゃんとレールを自分で選んでる。
全然違う。すごい。
さらに軽やか、洒落た自転車で街をクールに行き来しているような感じ、メンズ雑誌だとポパイかブルータスに載ってそう。カフェで一息つきながら読書が似合いそう。ケーキとコーヒーが一緒にあればそれだけで絵になるね。うん。
さてはシティボーイ?とにかく出で立ちからクールそう
本当はそうでもないこと
自分の世界をちゃんと持っている人。それに人を傷つけるくらいなら、とバランスを取れる人。色々と見えてしまったとしても、黙ってる…そんな優しさがある
何を食べようかなと考えて、暖かいものが思い浮かぶのもいいし。
ブロッコリーとかニンジンとかお肉がごろごろしてるクリームシチューとか、次は何にしようかなぁと考えながら食べるおでんとか、なぜか歩きながら外で食べてる絵が浮かぶたい焼きとか、いつも買うところは、たい菓子と言っているみたい。
少し女性的な視点を感じる時があります(気分を害されてしまったらすみません、褒めてます)おそらく家庭的で生活の基盤がある。自分の身の回りのことは一通り頭の中に入っていて、たまに雑多なことはあるでしょうが、多くの男性にはない几帳面さがあるような気がします。料理は最近始められたようですが、すぐに自分なりの得意料理を見つけられそうな予感がします。
ぼくが女性なら嫉妬するかも…多分。ぼくの方が大雑把だから 笑
パイナップルケーキを買ったみたいに
コメントで軽いやりとりをさせてもらいましたね。
この投稿でもホワイトデーのことで少しだけコメントを交わしてもらいました。
かなり近い悩みだったから、
思わずコメントしてしまった
という感じでした。
surusurukeiさんの投稿には何か不思議とコメントしたくなるんですよね、なんでかな
「会話したくなる」何かがある
お互いに会話が盛り上がる感じじゃなくて、もっとニュートラルな。
羨ましいです、そんな文を書けることが
多分noteにちゃんとsurusurukeiさんが居るからなんだろうな…分かりづらいですね、すみません
思ったよりもずっしりしてて、重さに気持ちが膨らむ。
小さな心の機微をすくい取るのがお上手です。どの投稿にもいつも、ふとした時の心の動きを観察されて文字に起こされていて驚きます。見落としてしまいそうなことでも、surusurukeiさんがすくい上げることで、その瞬間が静かに浮かびあがり、存在感を帯びるよう。どうしてそんなに丁寧にできるのですか?例えるなら、金魚すくいのポイを破らないまま静かに金魚を取ってるような…
「近く」の先の「遠く」を見に行く。
近くの人を増やそうと、人との関わりを増やしたら遠くの事が見えるようになってきました。
SNSを始めて(Twitterとnote)同じようなことがあるなぁと、この文を読んで思っていますsurusurukeiさんは基本noteの中でリアルの話をされていますね、noteの中でぼくはたくさんのnoterさんのお陰で似たような感覚を経験させてもらってます。
それはつまり「近く」の先の「遠く」を見させてもらってるんだと。少しばかり違うかもしれませんが、感じています
「視座」という言葉をこの投稿で知りました。色々な立場から物事を見つめること、と調べると書いてありました。親と子、上司と部下、先輩と後輩、男性と女性…等。あらゆる場面で視点を変えて捉える。これは「俯瞰」とも似て非なるものかと考えてます。全てを見るのではなく「対の目線」から物事を眺める視点
これは凄いことです。難しい。何故なら、「経験と想像力」がどちらも必須だから。そして、surusurukeiさんはそれが出来ていらっしゃる様にぼくは感じてます、文を読んでると
晴れでも雨でもない曇り空
好きなこと、嫌いなこと、どちらでもないこと、が自分の中にちゃんと有る人。そんな印象を受けました
本当は、「好き」とか「嫌い」よりも、どっちでもいいなぁと思う事が多かったり、「はい」とか「いいえ」よりも、こう思うだし、「良い」とか「悪い」じゃなくて、今日はこっちかなぁで、明日は違うかもだし。
仕事だとらどうしてもハッキリと意思表示しないといけないことが多くて、ある程度年齢を重ねるとプライベートでもそういう場面が増えてくる。自然体な自分を出す機会はどんどん減っていく。ぼくもそうです。
自分に馴染んだ言葉をもっと使えるようになれたら、いいのになぁと思う。
多分、noteやってる人、これから始めようとしている人の中にも同じように思っている人がいますよ、実際に喋るのもそうですが、文に落としこむのもなかなか難しいものです。surusurukeiさんはできてる気がするけどなぁ…
最後に
投稿をいくつか読ませてもらった印象で
「森の中」がイメージできました。澄んだ光が差し込む森で湿った空気と温かさがただよう様な感じ。少しまとわりつく湿度と葉先にしたたる雫、水たまりが昨日までの雨を想起させ、陽の光が遠くの空を、照らしている。投稿を読み終わる時、surusurukeiさんを森の中で見つけたような…その表情はスッとしていて、少しだけ雲が残った朝方の空がよく似合う
日本人の写真家さんに市橋織江さんという方がいます。彼女の写真が似合いそうだなと。僕たちと年代も近く、軽さというよりも「ゆっくり浸透していく」ような写真を撮られます。昔のものは暗く、実験的な写真がありますが、最近の方(とはいえ、僕が知ったのは今から6年くらい前)の写真はsurusurukeiさんの印象に似合うなと、感じております。確か海外の写真がたくさん入った写真集でした。機会があれば是非ご覧ください
文の中で時折、少年と青年の心持ちを行ったり来たりしているところがスキです
心の中の大切な部分(失いたくない心)がいつも少しだけ見られるのがとても惹きつけられます。
これからもそのスタイルでいかれるのだろうなぁと勝手ながら想像してます。
ぼくから見ると、書くスタイルが完成してる
もしくは、次のスタイルへと移行される前なのかも…とにかくこれからも投稿が楽しみな方のお1人だなと
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長々と失礼しました。感想は以上になります。
最後に余計なお世話かもしれませんが、どなたかの企画へご参加されるのもまたnoteの中で楽しみが増えるのではないかな?と少し感じました。無理にとは言いませんが、視座の話に繋がる部分もあるのではないかと…
これからもsurusurukeiさんの文を時々、読みにいかせてもらいますね
たまにコメントとかで絡む時はちょっとだけ、相手してやって下さい
それでは、お粗末様でした