8,90年代のの頃の不便さが一番ちょうどいいんじゃない?って話。
90年代。この頃は生きてきた人も、その後の世代の人も「あのころは良かった」「あの時代に生きてみたい」という人が多いと私は感じる。私自身も1番生まれてみたい時代は?と問われたら真っ先に昭和末期と答える。それほど私も昭和末期〜平成初期の雰囲気というか文化全般が好きなのだか、なぜ私が8.90年代の文化、曲、ドラマなどが好きなのかを考察して観たいと思う。その答えはバブル絶頂期に放送された「東京ラブストーリー」にあった。
東京ラブストーリーは上京してきた主人公永尾完治と幼なじみで親友の三上健一と同じく幼なじみで永尾と三上が共に好意を寄せていた有森也実と永尾の上京先の会社の同僚赤名りかの4人の関係を描くTheトレンディドラマなのだが、このドラマはSNSどころかメールもなく、ポケベルを見て近くの公衆電話で電話するという時代。恋愛でもメールなどがなく、出会うのにも障壁がある。例えば、待ち合わせをしたが何らかの事情があり、全く来ない。連絡もできない。という状況が当たり前のように起きているのである。ここに不便が生じるわけであるが、私はこの不便こそに今、便利になりすぎている世の中で私が昔の文化、雰囲気、曲などに興味を寄せる理由があると感じた。
実際、待ち合わせひとつにしてみても現代では遅れそうになれば、LINEやメールなどで〜分遅れるだとか、今日は行けなくなった。など相手に情報が伝えれてしまうわけだ。これがないからこそ、彼女と一悶着あったり、すれ違いがあった末、結ばれる。これがまさにトレンディドラマの良い所であり、これはドラマの範囲を超えて、リアルでまさに私たちの親世代がこのようにして恋愛をしてきたのである。その不便から生まれるストーリーであったり、そこから始まる恋やすれ違い……今では決してありえない叶わない恋の仕方。そこに憧れを持つのだなと私は感じる。
今の時代はTwitterやYouTubeなどで活躍するインフルエンサーの力によって大衆の意見が均一化されているのではないかと感じる。というよりも、簡単な言葉で人を分けやすくなってしまったと思う。例えばいわゆる陰キャ、陽キャなどのネットスラング。SEKAI NO OWARIの曲「habit」の歌詞「陰キャ、陽キャ君らは分類しないとどうにも落ち着かない」に代表されるように区別、差別などが増えていると私も思う。本来、個人はそんなに簡単に区別できるようなものでは無いし、傾向はあろうと、全く同じ人などいない。
これからは不便益を大事に生きていくのも大事なのではないかと私は思う。
最後に「さよなら人類」で有名なバンド、「たま」の曲。「まちあわせ」よりある歌詞を抜粋して絞めたいと思う。
「不便だ、不便だ、不便だ、不便だ。でも不便の方が便利よりだいぶいい。」