RHYMESTER「The Choice Is Yours」(2)
RHYMESTERの「The Choise Is Yours」という曲が気になって仕方がない。ということを、
1月程前にここに書いた。
引き続き、気になり続けている。
前回は、
①歌詞
②なんでこの曲作ったの
③私はなんでこの曲が気になるの
と、とりあえず問いを3つ立て、①②について整理する文章を書いた。
・2011.3.11の地震と原発事故とその後の世論の動きが出発点にある
・この曲の引用元の「I believe in Miracles」の歌詞内容ともリンクしている。リリースよりずいぶん経って、アメリカのDJ達によって80年代末に再発見された曲で、その動きが日本でも同時輸入され、RHYMESTERの御三方も20代の頃聴いていたはず(という仮説)
前回書いた内容を要約すると、こうである。
今回は、③私はなんでこの曲が気になるの、について書いてみたい。
書くにあたって改めて歌詞を読んでいたのだが、私は大きな勘違いをしていた可能性に気づいた。
私がこの曲に興味を持ったのは、9.24に名古屋で開催されたライブ本編最後の曲がこの曲で、この日のライブ全てが素晴らしかった(映像を公開してほしいぐらいだ)けれど、
特にこの曲が胸に迫ってきたからだ。
それで、RHYMESTERのライブを体験したことのある人なら分かってくださると思うのだが、この人達は本当にライブが素晴らしくて、ライブハウス丸ごと、文字通りロックオンしてしまう力をお持ちである。3人の作り出す音の世界で場を覆ってしまうのだ。ステージにいるはずなのに、グルーヴと、「圧」としか言いようのない何かでとにかく近くまで寄って(迫って)くるのである。
なので私は、帰り道にライブを思い出し、この曲を思い出し、君が選択するんだよという強いメッセージにやられて、選択とは?どうすれば?とぐるぐる考えるに至ったと思われる。
で、確かに選択を迫り、自分を大切にしなさいよという強いメッセージ性のある歌詞には違いないのだが、
改めて歌詞を読んでみると、選択に至るまでの迷いに迷っている状況を事細かく説明していることに気づいた。選択を迫ってはいるが、選択が難しいのだということを、選択しない「悪い大人」を代表して言っている。今敢えて選択しない理由が人それぞれあるのである。
かつて、RHYMESTERは「標的は日本株式会社」と歌った。資本主義の悪い部分が出揃ってしまった現代社会を批判したのである(「マイクの刺客 DJ JIN 劇画 REMIX」『リスペクト』1999年所収)。
しかしこの曲ではさらに踏み込んで、そういう社会を構成する一員、「騒ぎ出す外野」こそが選択不能の状況を作り出していることを批判した。「外野」は日々価値を「転倒」させ、敵味方を刻々と変える。「外野」は「自分たちの選択」ができない。「誰かのせいにしたい」からである。
被害者としての立場を確保しようとする「外野」に向かって、問いかける。
「誰かの尻馬乗っかってばっか キミも誰かを裁くか?」
そして、結論から言うと、RHYMESTERは裁かないのだ。
だから。
これは、何を言おうとしているのだろうと私は考えてみた。
「Fuck バビロン」は、いかにもHIPHOPに出てきそうなフレーズ。HIPHOPにおける「バビロン」という言葉はもともとは「不条理な権力」「警察」ぐらいの意味だ。
でも、そういう意味かなと思って聴くと、続きの、「何がバビロン?」という問いかけが変だ。「すべてバビロンみたいな議論こそがバビロン」だと言う。「すべてバビロンみたいな議論」って何だろうか。
私は、「バビロン」は警察や権力ではなく、「警察」のような動きをする人々全てを指しているのでは?と捉えてみた。誰が正しく、誰が裁かれるべきだと口々に言い合うこと、そしてそれらになんとなく追随する動きこそ不毛なのである。
では、どんな議論をすれば良い?
誰かを裁く、誰かを批判して(それに安易に賛同して)勝った気になることなく。
RHYMESTERの答えは、大切なことは誰かの批判ではなく、自分の意見。
だから、
と歌い、
と「キミ」の歌(選択)を聴こうとしているのではないかと思う。
「俺は歌うよ疑うよ胸張って」なので、意見(選択)するには当然疑う対象もある。「キミ」の意見と違うこともある。でも、それでもいい、「歌いな」。これは、私の意見(選択)を言い、あなたの意見(選択)を言うという、互いの意見を尊重する「場」を作り出すことに価値を置くスタンスではないかと思う。ものごとをふたつに分けてすぐに優劣をつけることなく、一旦保留しておく。
生きていく以上、いずれ「選択」しなければならず、ライブでも「The Choice Is Yours!!」と叫んでらっしゃるので、その都度その都度の選択を頑張れよと励ましてくれているのは間違いないけれど、そこに至るまでの人々の悩みの過程を細かく説明しているところが、この曲の歌詞の特徴だと思う。てんでんばらばらに誰もが自分の正義を振りかざして発信することの可能な社会に生きるからこその悩みである。
で、やはり、私は、批判してなんとなくスッキリする、みたいなことこそを嫌がっているこの曲のスタンスが独特でとても興味深いなと思う。
人の意見に耳を傾けるためには精神的成熟が必要だし、意見を聴いてから考えること、疑うこと、変えていこうとして選択する意見というのは、そもそも用意されていた(と思えていた)選択を壊す行為にもなり得る。逆に言えば、それまでの選択自体を超えていくものを生み出していくこともあるのではないかと思う。
普段この3人がどのように音楽制作をなさっているのか知らないが、少なくともこのような歌詞が生まれお互いに共有する場を作ってらっしゃることは確かで、自由な人達だと憧れる。
🔵9.24のライブについて書きました。
🔵公式ではありませんが…
RHYMESTERのライブを少し見ることができます。ぜひどうぞ。
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