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藤井風「まつり」について語りたい⑦

アジアツアーが開催された。

全11公演、6月24日から7月30日まで、
ひとりでピアノを弾いての約1ヶ月の公演だった。
その間、藤井風さんはずっと海外にいたわけではなく、日本にも帰国していたようだけれど、
忙しい日々だったのではないかと思う。

海外公演に向かうということで、
長らく守られてきた(と言っていいのか?一部の人が頑なに守ってきたと言えばいいのか?昔の映像も秘蔵映像として裏でやりとりされてきた、とりあえず、揉めていた感のある)写真や動画の扱い。撮影、拡散も徐々に緩和されてきた。

私はアジアツアーに行きはしなかったけれど、
そうやってシェアされた写真や動画やセトリを少し見ていた。

それによると、公演はピアノインストの「まつり」から始まった模様。私が最初に聴いた時から気になり続けている「まつり」。気になりすぎてここに6回も記事を書いてきている「まつり」が海外公演でも披露され、皆があの"踊り"をしていたのかと思うと大変興味深かった。

ーどんな気持ちになりましたか?

あの、盆踊りのような手の動き、アジア各地の人々はどんな感慨を持ってやってらっしゃったのだろうか。

子どもの頃から、盆踊りを見てきた。
浴衣に花笠などを着けて踊る大人達は普段の様子とは違っていた。当時はそれが何なのか分からなかったが、おそらく「色気」があったということではなかったかと思う。「色気」のある大人達は見慣れない大人達だった。一般的な図式で言い直すならば、〈ハレ〉の世界を〈ケ〉の世界から眺めているように感じたものである。
私の親達は偏屈だったのかシャイだったのか何らかの理由があったのか分からないが、盆踊りに加わることはなかった。
私は盆踊りに自分の親達が加わらなくて良かったとも思った。遠くに行ってしまいそうだったからである。
盆踊りは、お盆に帰ってきた先祖や精霊の霊魂を鎮める意味合いもあるそうである。異界のものと一緒に踊ることで、喜んでいただこうとしたのかもしれない。
幼少期に私が盆踊りに感じたのは、大人が異界へ喜んで入っていく不思議だった。

私は大人になってしまったので、幼少期のあの感覚を忘れてしまったのだが、「まつり」の"踊り"には、なんとなく盆踊りを感じる。
はなやいだ気分になる。
自ら異界へダイブする感じがする。
(私ももちろん踊る。楽しい。
でも、「まつり」を聴くと何かが終わりに近づく気がする。何だろう。)

その時語られるのは、全てを無化する魔法の言葉ー「なんも知ったこっちゃない」

〈ハレ〉の世界で日常の細々としたことを気にする人なんていないのだった。

(追記)
ブラックミュージックと日本の"踊り"を組み合わせた哀愁漂う曲として、
バブルガム・ブラザーズ「WON'T BE LONG」(1990)がある。なぜそうなのかは分からないけれど、MVが「阿波踊り」である。
音楽そのもの、そしてこの不思議なMV、「まつり」の哀愁と似てると思う。
これについては、また今度考えてみることにしたい。

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