女性パワー

「女性パワーで未来を変えるという私の真意と違う形で受け止められる可能性がある」として撤回。

という記事を見ました。

「こどもを産まずして」とは仰ってないのであって、
マスコミが変な切り取り方をした。

というマスコミ批判の人達の投稿も見ました。

よく分からないので、元のご発言を聞いてみました。

「いま一歩をふみだしていただいたこの方を私たち女性がうまずして何が女性でしょうか。初陣の時に『本当に皆さんうみの苦しみにあるけれどぜひうんでくださいね』と。うみの苦しみは、きょう男性もいらっしゃいますが、本当にすごい」

後半の『 』以下は、何を仰っているのかあまり分からないのですが、前半はよく分かりました。上川陽子さんご自身に、「女性」に当選させて貰ったという自認またはイメージがあって、このたび応援したい候補者の方も同様であってほしいと願ってらっしゃる。

それを踏まえた上で、このご発言について考えてみたのですが、私はこのご発言に賛同できないし、撤回のご発言も含めて、息苦しく、こんな国で生きるのは嫌です。

理由。

①女性がこどもを産むか産まないかの選択は女性自身ができる
②党推薦候補を新しい知事として「生み出す」という意味で述べたということだが、その比喩として女性の出産を使っているのが解せない
③撤回発言の、「女性パワー」という言葉が、女性という「政治的マイノリティ」を一括りにしていている

全部怖い。
特に、撤回発言の「女性パワー」が怖い。
女性は全て同一思考であれとでも…

長年生きていて思っていることがあるのですが、恋人がいるかいないか、結婚しているかしていないか、子どもをもうけているか否かというのは、社会的なステイタスにも繋がっています。
特に、大人として社会生活を営んでいくにおいて、結婚をしてさらに子どもがいる方が、そうでない人よりも出世をし、世間話の幅も広がっていき円滑な職場環境を作れます。
私は女性として生まれて、職場での地位もありますが、子どもをもうけていません。「女性」からの子持ちマウントは凄まじいものがあります。とにかく、子どもがいないというただ一点で、全てを突破してこようとする「女性パワー」、激しいです。子どもがいない人を見下したくて仕方ない、そういう「女性」がある程度の数(いや、圧倒的に多い)います。
出産ならびに子育てが大変だということは想像します。しかし…出産ならびに子育てに奮闘してらっしゃるその時期に、私もまた死にものぐるいで働いているということに…想像が及んでらっしゃらないです。

上記の理由で、私は女性として生まれましたが、「女性パワー」に連動できませんし、投票権がありましてもこの推薦演説に賛同することはないでしょう。さらに言えば、私が私自身を女性だと強く意識したこともありません。

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