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まのいいりょうしのできるまで#9

前回からのつづき。

「山の家」との出会い

そんなふうにして、一世一代のつもりで取り組んだ企画はとりやめになった。しかし、その企画を通してわかったことがたくさんあって、夫婦間の歩調もより近くなり、これから何かするなら、屋号を「まのいいりょうし」にしようとなった。

ともあれ、またいちから基地探しだ。狩猟採集漁労を生活の礎に据えたいという思いはまったく変わらないどころかより強いものになっていたから、もっとそっちの方にフォーカスした場所を探すことにした。

そんな中でも、ゆっくりではあるが音楽活動もしていたし、知り合いの旅館でパートタイマーをしたり、前職の車両製造の仕事を頼まれて、イギリスに出張したりもした。三人の子どもたちはすくすく育ち、岩美町での友人も増え、狩猟の師匠にも出会い実際に狩猟も始め、魚を突きに近所の海に潜ったり、理想の拠点こそないものの、それなりに充実していた。

そして2018年の夏、理想を遥かに超える、奇跡的な物件に出会う。

周囲を山に囲まれ、海も近く、七世帯十人しか住んでいない小さな集落の一番上手(かみて)にその平屋はあった。家の横をきれいな山水が流れ、裏は山、その裾には防空壕兼貯蔵庫があり、家の周りはイノシシの痕跡とシカの足跡だらけ、庭にはカリン、柿、栗、梅、グミなど果実のなる木が植えてある。なにより、丁寧に山に生きた人の残照が、そこかしこを照らすような心地の良さがその家にはあった。

僕たち夫婦は、およそ七年間かけて、いくつもの空き家を見て回っていた。人づての紹介であったり、町の空き家バンクを利用したり、およそ20件近く空き家を見てきたが、そのほとんどが放置されていた家であり、「打ち捨てられた感」があった。家自体が「もうここには住めないよー」と言っているような気がしたものだ。

実際、住むためには大きな修繕が大前提で、かなりのコストがかかるところがほとんどであった。なかには「すぐ住める」をうたいながらそうでないところすらあった。だから、僕たちがこの家に奇跡を感じてしまったとしてもそれは決して大げさなことではなかった。

そう、まさに奇跡だった。この家を猛烈に気に入ってしまった僕たちは夫婦は、ぜひとも住まわせて欲しいと持ち主のYさんに談判した。Yさんは、僕のようなよく分からない男の話を真摯に聞いてくれて、そういうことがしたいのでしたらどうぞご自由にやってください、といってくれた。ここに、山口周南時代から振り返れば苦節七年の家探しに終止符が打たれたのであった。

私たちは、自然から糧を得てまのいい暮らしを実践するこの家を、「山の家」と呼ぶことにした。住むにはいろいろ手を入れなけれならない。それこそが「まのいい暮らし」になるはずだ。

つづく。

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