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樹木礼賛 #1 木はブッダである

木はブッダである。

ブッダとは特定の人を指す言葉ではなくて、「悟りを開いたもの」という意味であるそうだ。

仏教が好きで、その類の本を読んだりするけれど、悟りや解脱がなんたるかはよく分からない。しかし、辞書的な定義の悟りや解脱であれば、木はそれを体現している(ようにみえる)。

そもそも釈迦はインドボダイジュの下で悟りを得たというし、また、釈迦以前に6人のブッダがいたという考え方があるのだが(過去七仏)、その6人にもそれぞれ別の木の下で悟りを開いたということになっているらしい。

となれば、釈迦をはじめ人間のブッダたちはみんな、樹木から解脱がなんたるかを学び、悟りを得たのである、と言っても過言ではないんじゃないか。木々たちをみて、悟りのヒントを得た。つまり、木はブッダなんである。

木は、どんなに切られても文句ひとつ言うことなく、そこにいる。例えば悟りが「心のまよいからさめて、正しい道がすっきりとわかること」であるならば、それはまさに樹木であると言える(細かいことはさておき)。

というわけで、みなさんの周りにある木々はみんな、ブッダなんです。ぜひ、そういう心持ちで木々を感じてみてください。心安らぐこと請け合い。

ちなみに、「木は切られても文句のひとつ言わない」と書いたけど、木はそもそも、伐採されてもすぐに死んでしまうことはない。私たちが木と認識している大部分は、実は木の一部でしかない。あ、それって、ひょっとして根っこのこと?と思うかもしれないが、それでもまだ全部ではない。この話は長くなりそうなので、続きはまたの機会に。

【参考文献】
八坂書房『仏典の植物』満久崇麿著
ハヤカワノンフィクション文庫『樹木たちの知られざる生活』ペーター・ヴォールレーベン著
小学館『例解学習 国語辞典 第十一版』金田一京助編


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