まのいいりょうしのできるまで #8
前回からのつづき。。。
「最良の選択」
なぜ岩美町だったかというと、鳥取市出身である妻の実家が近かったことと、狩猟漁労採集を生活の基盤に据えたかったからだった。岩美町には美しい海と深い山があり、条件さえ揃えば、その夢は実現できそうだった。まずはその条件の大きな一歩、基地となる場所を探さねばならない。
実は、周南市に住みながらも、場所探しはしていた。はじめのころは岩美町に限らず、山口県下でも探していたが、なかなか理想的な物件とは出会えずにいた。
そんな中、長男が小学生になる前にせめて住む場所だけでも決めたかったので、いったん岩美町の町営住宅に仮住まいしながら、引き続き、理想の場所探しをすることにした。2017年の春のころだった。
場所探しの中で、いろいろな物件に出会った。中でも、知り合いの紹介で見せてもらった旧旅館に一目ぼれした。大きかったし、修繕費用がかなりかかりそうだったが、そこさえクリアできれば、面白いことができそうだった。その物件をもとに、カフェやゲストハウスを併設したコミュニティスペースをつくったら面白いんじゃないか。将来的には、狩猟採集の基地として、ジビエ解体処理施設もつくったり、音楽スタジオをつくったり。屋号は小さいころから大好きだった絵本のタイトルをもらって、「まのいいりょうし」にしよう。妄想が膨らむ。
その妄想を抑えきれずに、妻と何度も何度も話し合い、企画書をつくり、古くからの友人も誘い、公庫で熱弁し、お金を借りることが決まった。その額、二千万。
そんなころ、北海道から心腹の友がやってきた。その友人は、鳥取東部の岩美にある我が家に寄ったあと、鳥取西部の大山(だいせん)に住む友人を訪ねる予定だといった。そして、せっかくだから、大山に一緒に行かないかという。その大山に住む友人を僕たちにも紹介したいというのだった。
大山を訪ねた日のこと、そしてその夜のことは、ずっと忘れない。心の底から感動した場所と人たちだった。
次の日、大山から帰る車のなかで、妻は、「やっぱり、お金を借りるのをやめよう」といった。妻のいうことは直感的にわかった。大山の夜は、大金を借りてまで事業をすることが僕たち家族の人生ではないということを教えてくれていた。それほど素晴らしい人と場所だった。
その空気に触れながらも、僕はすぐにうなずくことはできなかった。それまで準備してきたことを簡単に手放すことができなかったのだ。明日にでもハンコを押せばお金を借りられるというのに。妄想が現実になるというのに。しかし結局、何日か考えて、妻の言う通りにしようと決めた。そしてそれは、僕たち家族にとって、間違いなく、最良の選択だった。
つづく。。。
(このような場ではありますが、僕たち家族に最良の選択を教えてくれたOLAibi Aiさんに、心からの感謝と、哀悼の意を表します。本当に、ありがとうございました。)
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