超絶めんどい気持ちを、ゴミと共に捨てる。
公園を歩くとだいたい綺麗だ。
とはいっても、ちょっとした木陰に大胆にも放置されたゴミはあるものだ。
ペットボトルとカップラーメンのような容器。
おそらく、このサイズ感からして若者かなぁと予測した(夜、上野公園はダンスの練習やスケーターがよくいる。)
朝、気持ちよく1日を始めたいのに、無残なゴミが目に入ると気持ちも滅入る。
すぐ隣にゴミ箱があるのに、このポイ捨てしなくなる行動のデザインはどうしたらいいか。
たぶん、夜暗くてゴミ箱がわからないんだろうなぁとも予測する。
なら、ゴミ箱に蛍光塗料で若者にウケそうなかっこいいグラフィティで「trash」と書いておけば、夜光って捨てる場所もわかるんじゃないかと思う。
まぁ、そんな説教じみた話をしたいのではなく
ゴミを拾うというシーンは街中でなく、業務上でも発生する。
PM(プロジェクトマネージャー)として、スケジュール内に業務をすすめる際、「あれ、これどうなっているんだっけ?」「あれ、これ誰が処理済んだっけ?」ということはよくあること。
ほんと小さな些細な仕事(たとえば、関係者にzoomURLを送るとか、スキャンしてPDFを送るとか)こそ大事なのだが、それ以上に、この面倒臭い仕事にもならない雑務の処理こそが大事だ。
料理で言えば、下ごしらえ。
いや下ごしらえ以前の、食材をパッケージから出して、そのゴミを綺麗に処理する段階。
シェフが料理する前に、前からそこにあったかのように食材がバットの上の並んでいる状態にする。
この作業こそ、仕事を効率化させ、より美味しくするために必要な前提条件な気がしている。やっていないことにイラッとせず、淡々と進めるスキル。
だからこそ、この作業をさりげなく理解して行動に移せる人が大好きだ。
そうそう、お湯湧いているから、もう入れるタイミングだよね。とキャッチボールのタイミングが心地い感じ。
ただ、「ゴミ」と認識した瞬間にゴミとなるわけで、それをゴミだと認識しない人には違和感に気づかない。
そのゴミがその後、「まじか・・」となる最大障壁のトラップになったりする。
ゴミとして認識するか、ゴミとして認識しているけどいつ処理するのか、ゴミと気づかずことを進めるのか。
この見えているか、と、見えたときにどう行動を取れるかが問われる気がしている。
それが、自分の機嫌が悪いときにでも同じ行動ができるか。
機嫌が悪い時こそ「超絶面倒」になりがち。
しかし、超絶機嫌が悪い時こそ、超絶面倒なゴミどもをかたづけてようとすると、怒りのパワーでそのゴミも、負の感情も秒殺できる時がある。
自分のイヤイヤ期に一番面倒なことをこなせるメンタルがほしい。
イラッとしたときに、ゴミとなるものをバッと終わらせたときのカタルシス。
そう、溜まっている。やらなきゃいけないことが・・。
でも大事なことは一つ。
機嫌は常に、いい機嫌にしておくこと。これに尽きる。
みなさんも、機嫌よくいきましょう。
問い:機嫌が悪くても、そのゴミを拾えるか。