バリエーションが足りない「問い欠け」
4/2まで、あと85日。
noteがどこまで続くかと、アウトプットのクオリティとしてTOPバナーみたいなものを毎日の朝日課にしている(どこまでつづくか謎)。
気持ち的に1月より4月が新しいことを始める気分になっている。
そのために第二創業を掲げ準備期にはいった。
社会は緊急事態宣言が出て、動いちゃいけない感が満載だが
時代は動いているし、停滞は衰退しかならないと思っているので
今ここでできることを考えはじめている。
なにかしなきゃいけない、という観点から久しぶりに本を買いあさっては読み始めた。やらなかったことに取り組むことも新しい一歩である。
読みたかったけど読めなかったものを年末年始にババっと手に取った。
問いのデザイン。
他者と働く。
いやーしみる。まだ途中だけどしみる。
自分の立場ではなく、起きている現象と、向き合っている他者との関係をまず観察する。この大切さ。
できていただろうかと、今の業務と同時並行で考え直している。
毎日同じようなことを考えて、同じフレームワークで
同じような悩みを抱えている。
ほんとよくないなぁと思い
noteの画像を作るために、言葉を選んでいるんだけど
悩んだ結果、「そうか毎日問いをちゃんと作ろう。」と思い立った。
そして、同じフレームワークでの問いかけを止めようと思った
問い掛けてなくて、問いが多様性に欠けている。量も質も足らない。
問い欠けだ。
ファシリテーターと称しているのにバリエーションが足りなすぎる。
まずはこの事実にたどり着き、自分を観察を始めた。
その中で、心に残っていた
「自分を進化させる問いはなにか。」
という壮大な問いを立て、本日は生きてみようと思う。
来週16日に、一度棚卸する機会を強制的に作ろうとしています。
一緒に悩んでくれる方、お待ちしています。