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純喫茶論
※この記事は『ENJI2021年 冬号』のために寄稿した文章と写真を再編集したものになります。
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村上春樹の「1973年のピンボール」およびその続編には「ジェイズ・バー」という店が出てくる。主人公とその友人・鼠が通うその店は、ジェイという謎の男が切り盛りしている。彼らは漠然とした孤独や不安、悲しみを持ち寄り、バーカウンターで取り留めのない話をしたり、ビールを飲んだりして時間を過ごし、また日常に帰っていく。
友人と「1973年のピンボール」の感想を一通り話したときに「俺たちの『ジェイズ・バー』を早く見つけないとな」と言われて、「確かにな」と思った。
私が純喫茶をめぐり歩くのが好きなのは、そうした「ジェイズ・バー」を探す行為の延長だからなのかもしれない。それはバーでもサウナでも何でもよかったのだろうけど、大好きなコーヒーとジャズがあるからたまたま純喫茶になった気がする。
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昔ながら喫茶店というのは普段しないような話を自然と人々の間から引き出してくれる空気を持っている。それは単に居心地がいいから、というだけではなくて、雑然とした店内や喧騒、鼻をくすぐるタバコの匂いが何でも受け入れてくれるような気にさせてくれるからかもしれない。
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最近できた真新しい”カフェ”というのは引き算のデザインに則って空間を創り出しているところが多い。
モノトーンで揃えたテーブルや椅子、ツヤツヤの無地のカップが間接照明で照らされているようなスタイリッシュな店で時間を過ごす時、これを自分の息子や孫の世代が「有り難がる」としたらどんな時代なのだろうな、と考えたりする。我々が複雑な模様があしらわれた茶器や信じられないくらいの緑色をしたクリームソーダ、スウィングジャズのレコード、ヤニ焼けた壁やカビ臭いカウンター横の文庫本を
「有り難がる」のはそれがまさしく非日常であり、
日々の暮らしからの逃避行動の目的地になり得るからである。 コンビニでコーヒーを買い、喫煙できる場所を探すのにも一苦労する現代から遠くかけ離れた貴重な場所。それこそが純喫茶の本質であり魅力のように思える。店に飾られたあれこれや、そこに居る人々、そしてコーヒーや茶菓子の味は過去から飛んできた遺産であり、それは逆に我々の目にはフレッシュに映る。 これは純喫茶が雑然とした暖かさを持っているからなし得ることであろう。
ミニマルな店内に我々がどのようにときめくかは、少し気になるところである。時代が変わるまで生きるには、まずは煙草をやめなければいけないが。
撮影、邪宗門(荻窪)
物豆奇(西荻窪)
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