わたしが地方公務員をやめたワケ②続き
いったん退職を思いとどまって、年を越そうとしていた2017年12月。
それまで退職について相談していた東京在住の知人からの電話が鳴りました。
「ねぇ、道の駅やらない?」
その友人は以前役所の仕事で1年だけご一緒した方で、一流大学一流企業の世の中動かしている一人でした。地方都市とのかかわりを模索していた中で人と人とが結んだご縁で一緒に仕事できたんですが、その一流企業を辞めて独立されたことを知り、モヤモヤしていた2017年8月に東京で会って相談していました。今思えば、ホントにこの上京がターニングポイントだったとしか思えないけど、当時は誰かに背中を押してもらいたかっただけで相談に行っていたから、至極冷静に「もうちょっと考えた方がいいかもね。」で終わっていました。
その人からの突然の「道の駅やらない?」は衝撃も衝撃で、経緯を聞けば実に目からウロコの考え方だったし、思い込みが激しい自分を広い視野に変えてくれる貴重な人だったのもあって、当時、「そうか、これがタイミングとかチャンスってやつかもしれん。」と直感で思った記憶が鮮明にあります。
私はこうして常に人に恵まれていました。取り扱いにくいだろう私を正しく評価してくれる人に囲まれていました。でも半面、よいしょされればNOと言えない性格も利用される事がたくさんあった。だからこの話も、ひょっとしたら都合よく使われるだけかもしれないし、だまされる結果になるかもしれない、と疑ったりもして悩んだけど、最終的には自分が
「だまされたとしても、この機会に次のステージに行きたい。」
と強く思ったのです。
まぁ、この段階でも馬鹿は馬鹿なんです。人生において、だまされてもいい、なんて選択はするもんじゃない、と思います。今になれば。
今となれば、ある意味だまされたんだけど、やっぱり自分で決めた事だったから誰のせいにもできません。
突然駅長と会社の取締役になってみた
地方公務員でも経営感覚を持ち、その手腕を発揮する方は大勢いらっしゃるだろうと思いますが、私は民間企業の何たるやを知らずに公務員になり、それを辞めて民間企業の役員になったのです。雀の涙程度の出資もして。
共同出資者が東京と秋田市だったので、地元の現場で仕切る管理者が必要だったから、その役割として私に白羽の矢が飛んできた構図だったんですが、まぁ、想像していた想定していた何万倍もの大変が待っていました。
覚悟もしていたつもりだったし、体力にも自信があったから何とかなるって思っていたけど、体力だけでは何ともならない新しい波が数秒おきに押し寄せて来る・・・毎日があっという間に過ぎていきました。
道の駅の何たるやも勉強せず、当初、指定管理者となった団体がドタキャンした事で舞い降りて来た駅長という職務・・・大変だったという一言では現わせないけど、一方で新しい事を興していく楽しさはありました。
とにかく道の駅を27日間でオープンさせないといけない状況と会社の経営も始めなければならないという経験はきっと誰にも、臨んだって出来ない事だと前向きに考えて毎日奔走。
2018年4月28日はこれまた一生忘れられない一日となりました。
この怒涛の1年はまた別に綴ろうかなと思っています。
モヤモヤ地方公務員さまへ
退職届を提出した2月末、当時の上司は止めてくれました。立ち上げたばかりの事業もあったし、何も今じゃなくても、と。
それは素直に嬉しかったけど、当時の私は「今しかない。」と強く思っていたから、背中を押してくれる意見だけを自分のものにして退職しました。
当時の上司の励ましの言葉も糧にしてこれから役目を全うすることが恩返しになると信じて前に進んだのです。
退職してから5年目に入った今、もうそんなに経ったのか、という想いだけど、まだ当時思い描いていた日々ではないな、と思っています。
50歳までのあと3年で、その日々を叶えようと今、また強く気持ちを持って進みます。
地方公務員と一言で言っても、いろんな職種、地方、しがらみ、やりがい、人、あると思います。実際私はこの18年で自分の経験値も積めたし、地元の事をもっと好きになる事もできた、幸せな公務員だったと思います。
だから辞める事を推奨したい訳でもないし、辞め方をお伝えするものでもない。
ただ、公務員してて何か得体のしれないモヤモヤに気づいてしまった人はまぁまぁ自分と向き合ったりしてるだろうって思います。
そんな方にお伝えすることがあるならば、次の2つです。
① 公務員じゃなくたって、大切にしたい家族やもの、事があって、それをちゃんと大切にできている自負があるなら、今、結構幸せだと思いますよ。
② 理解ある家族、知人、友人がいて支えてもらってる事に感謝できるなら、公務員じゃなくたって社会に役立つ仕事はたくさんありますよ。
全国にいるモヤモヤ地方公務員さんのモヤモヤが少しでも晴れますように。